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宮城県
復興取材レポート

NOW IS.対談 in 気仙沼
May J.さん × 気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館 佐藤克美さん

当時の姿を残す意味。
発信することの大切さを考える。

2011年の震災直後から、慰問やチャリティライブなどで度々気仙沼を訪れているMayJ. さん。今回は、May J. さんが「これまであまり見ることがなかった」という気仙沼の側面を見て回ります。訪れたのは、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館。館内を見て回り、震災直後からがれき処理を担当していた、佐藤克美館長と話をしました。

震災から8年。
来場者が見る当時の姿。

佐藤克美館長(以下佐藤)ー気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館では、2011年3月11日のありのままの姿を見せることを目的に2019年3月10日にオープンしました。年間7万5000人を目標にしていたのですが、2019年11月までに7万7000人の方に全国から来ていただいています。当時気仙沼に居なかった方はもちろん、支援やボランティアで来ていた方が来館することもあります。震災当時小さかった子どもたちが見に来てくれるのもうれしいですね。

May J. さん(以下May J.)ー震災からもうすぐ9年ですもんね。2011年に生まれた子でも9歳になる…。私が震災のあと初めて気仙沼に来たのは、8月でした。内陸に大きな漁船(第18共徳丸)が打ち上げられていたり、衝撃的な光景だったのを今でも覚えています。

佐藤ー当時を知る方は、思い出すなぁと言います。これを片付けたんだなぁ、と。私は、震災直後からがれき処理の担当として被災現場に入りました。あの光景から当時ここまで復興するとは思いませんでした。

May J.ーここでは、そんな時の状況、そのままの姿を残しているんですもんね。気仙沼向洋高校旧校舎を見学しながら、驚くことばかりで、言葉が出てこなくなってしまいました。海のそばの松林の松ぼっくりが教室の中にあったり、校舎にぶつかった工場の破片が残されていたり…。もうすぐ9年たつ今、当時を語る言葉も記憶も薄れていっています。伝え方や捉え方も変わってしまっている。そんななか、こういう場所があると一瞬で2011年に戻ってしまう。見学していて、ぜひ多くの方に見に来てほしいなと思いました。

佐藤ーがれき撤去の仕事が終わった時、ここで立ち止まるわけにはいかないと思ったんです。ここを残し、多くの方に見てもらうことで、災害対応や防災・減災の必要性を感じてほしいと思いました。ありのままの姿を残すことで、教訓を感じてほしい。安全な場所に避難する必要性を知ってほしいと。気仙沼向洋高校で学んでいた生徒は、地震の後すぐに高台に避難して無事でした。そういう場所だからこそ、残したいということで、地元からの要望もあり意見がまとまったんです。

May J. ー佐藤館長ご自身も辛い思いがあるなかで、ここで語っていただけるというのも、すごいことだと思いました。震災を乗り越えて伝えていく姿が素晴らしい。

佐藤ーありがとうございます。熊本地震が起きた時、私自身も現地に行ってがれき処理の方法について支援しました。というのも、東日本大震災直後に、阪神・淡路大震災を経験した尼崎市の方が手伝いに来てくれたからなんです。支援はつながっていきます。ここを残し、伝えることで、災害への備えや支援について、考え直すきっかけが生まれてほしいと考えています。

(文責・沼田佐和子)
 

May J.(めい じぇい)
1988年生まれ、神奈川県出身。幼いころからピアノやダンス、オペラなどを学び、2006年にメジャーデビュー。震災直後からチャリティライブなどの慰問や支援を行い、気仙沼クリスマスイルミネーションプロジェクトONE-LINEに8年連続で参加している。


佐藤 克美(さとう かつみ)
気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館館長。1968年生まれ、気仙沼市出身。気仙沼市役所で、震災直後からがれきの撤去・処理に取り組んだ後、東日本大震災遺構・伝承館に立ち上げから関わる。市のバスケットボール振興にも熱心。