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復興取材レポート

NOW IS.対談 in 松島
稲垣潤一さん×「松島パークフェスティバル」実行委員長 新田一修さん

音楽を通して、松島の歴史と復興を見てほしい。
「松島パークフェスティバル」

2015年から始まった「松島パークフェスティバル」。5回目を迎える今年は、仙台市出身のミュージシャン稲垣潤一さんがトリを務めました。フィナーレステージの舞台は、国宝・瑞巌寺の本堂!熱が冷めやらぬ翌日、実行委員長の新田一修さんと稲垣さんが対談しました。

お寺で、海で、芝生で。
穴場スポットで音楽を。

稲垣潤一さん(以下稲垣)ー瑞巌寺の本堂で歌うなんて、なかなかできない経験でした。不思議な空気でしたね。僕は歌っているほうなので、お客さんからどんなふうに見えたか分からないけど、ずいぶん幻想的で、神秘的だったようだね。

新田一修さん(以下新田)ー聞いていて気持ちよかったですよ。本堂は、普段から住職がお経を読んで、木魚を鳴らす場所でしょう。その雰囲気をそのまま残したような響きでした。瑞巌寺本堂ライブは夜の開催だったので、円通院の紅葉ライトアップに使っている照明をスタッフごとお借りしたんです。最初はできるかな、と言われたのですが、すごくよかったですね。

稲垣ー夕暮れから夜になって、照明がついて。一番気持ちのいい時間だったよね。僕は今年初めて参加したけど、とてもいい取り組みだね。松島パークフェスティバルの初回はいつだったんだっけ。

新田ー2015年6月13日、14日が初回でした。マリンピア松島水族館が閉館したり、仙石線が全線開通したり、松島にとって節目になる年だったんです。松島には、日本三景の町として、震災から立ち上がった町として、深い意味があります。そういう場で音楽をやれたら、と。最初は仲間内で、手作りで始めたんですよ。

稲垣ー今年は何ステージ?

新田ー今年は14ステージです。170組のミュージシャンに出演していただきました。松島の海を背景に芝生で音楽を聞ける「雄島ステージ」は気持ちいいですよ。観光船内で行われる「松島湾ライブクルーズ」は前夜祭として開催しました。

稲垣ー松島は小さい時から、遠足や家族旅行でよく来た場所です。父が運転する車に乗って、仙台から国道45号を走って来たなぁ。坂を下ると、右側に海が見える場所があるでしょう。あそこに来ると、ああ松島だってうれしくなった。

新田ー僕は生まれも育ちも松島町です。母が円通院の物産店部門で働いていたので、小さい時は、瑞巌寺と円通院のあたりが遊び場でした。池に入ったり、お坊さんに遊んでもらったり、今だったら考えられない(笑)。だから、地元民だからこそ知っているような穴場スポットを、観光で来る方にも知ってほしかったんですよね。「松フェス」をきっかけにそういう場所を知ってもらえるのはうれしいです。

稲垣ー観光客は戻ってきているの?

新田ーはい。震災直前くらいまで回復しています。

稲垣ー「松フェス」では、松島のお店などを巡ってスタンプをもらうと、記念Tシャツとかが貰えるスタンプラリーもやっているでしょう。こういうのがあると、楽しみ方が分かっていいよね。松島は県外の人も興味を持ってくれる場所だし、音楽というキーワードで良さを発見してほしい。

新田ー瑞巌寺本堂ライブも、稲垣さんをお招きしたことも、今年は大きなチャレンジが多い年でした。ミュージシャンの方も、回を重ねるごとに多く集まってくれるようになった。今後も一緒になって盛り上げていけたらと思っています。

稲垣ーこれからも継続することを願っています。

(文責・沼田佐和子)


稲垣潤一(いながき じゅんいち)
1953年仙台市生まれ。中学時代からバンドをはじめ、仙台市でドラムボーカルとして活動したのち、「雨のリグレット」でメジャーデビュー。代表曲に「クリスマスキャロルの頃には」などがある。


新田一修(にった ひろのぶ)
松島プチホテルびすとろアバロンの支配人。「松島パークフェスティバル」実行委員長。「松フェス」は、仙台・東京でミュージシャンとして活躍する佐藤達哉さんとともに立ち上げた。びすとろアバロンでもライブを開催。