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宮城県
復興取材レポート

NOW IS.対談 in 東松島
坂本サトルさん×「KIBOTCHA(キボッチャ)」運営 三井紀代子さん

「外」の力が、東松島に新しい風を呼ぶ。
生まれ変わった廃校舎。

約3メートルの津波が押し寄せ、犠牲者も出てしまった東松島市の野蒜(のびる)小学校。廃校になったその校舎は、2018年7月に防災体験型宿泊施設「KIBOTCHA(キボッチャ)」として生まれ変わりました。暗い影を落としていたかつての学び舎を、新しい地域の拠点に。挑戦を続ける運営の三井紀代子さんと、ミュージシャンの坂本サトルさんが対談しました。坂本さんは、震災直後、東松島市に支援で訪れています。あの日の姿とこれからの東松島を語ります。

さまざまな側面を持つ
防災教育の拠点施設。

坂本サトルさん(以下坂本)ー僕が震災後、初めて東松島に来たのは、2011年4月7日でした。宮戸(みやと)島への道路がようやく開通した日で。宮戸の避難所に行ったとき、「ようやくまともな食事が届いた」と喜んでいる人たちの姿を見たのが印象に残っています。被災したまちを見て、言葉もでませんでした。

三井紀代子さん(以下三井)ー「KIBOTCHA」では、当時を伝える展示も行なっています。津波の時間で止まった時計とか、その日の予定が書かれた職員室の黒板とか…。

坂本ー色々と思い出しますね…。

三井ー私が東松島に初めて来たのは震災から数年後だったのですが、当時のままだったこの校舎を見て、「私はここで事業をすべきなんだ」と直感しました。関東で行なっていた事業をたたんで、家族を残したまま単身赴任で東松島に来ました。今はほとんど「KIBOTCHA」に住んでいるようなものです(笑)。

坂本ー大浴場があるのには驚きました。気持ちよさそうですね。

三井ー1階は大浴場やレストラン、宴会場にして、地域の方が気軽に利用できるつくりにしています。地元の方にとって、ここは懐かしい場所であり、震災を思い出してしまう辛い場所でもあるんです。だからこそ、新しい思い出を「KIBOTCHA」でつくってほしいと思っています。昨年、震災後途絶えていた「鳴瀬かき祭り」をここで復活させたんですよ。ほとんど宣伝ができなかったにも関わらず、大行列になって!「来てよかった」「賑わいが戻ってきた」とすごく喜んでもらえたんです。こういう機会をこれからも持ちたいな、と強く感じました。

坂本ー「外からの目線」って大事ですよね。地元の方同士だと、感情的なこととか難しいこともあるでしょうけど、「よそから来た人」だからこそ、状況を俯瞰(ふかん)で見られたり、地元の方が気がついていない魅力を見つけられたり、ということもあるでしょうから。

三井ーそう思います。最初は受け入れてもらえるか不安だったんですが、いろいろなかたちで関わり続けるうちに、たくさん協力していただけるようになりました。今回新しく「林間ビーチ」というバーベキューエリアをつくったのですが、私たちが草刈りをしていると、地元の業者さんがやってきて、いっぺんにきれいにしてくれました。本当にありがたいし、やっててよかったなと思います。

坂本ー林間ビーチ、すごくいいですね!ステージ作ったら野外ライブもできそう!

三井ーぜひ来てください!

坂本ーうれしいですね!まさにこうやって新しいことが始まっていくのだと感動しています。外の力を入れて、必要なものを提案していく姿、頼もしいですね。震災後、僕たちミュージシャンは避難所や仮設住宅などでのライブ、というのが分かりやすい支援でしたが、被災地は次のフェイズに移っている。今後どういうふうに地域の賑わいを手伝っていけばいいのか、僕たちもよく考えなければならないと思います。

(文責・沼田佐和子)


坂本サトル(さかもと さとる)
1967年生まれ、青森県出身。東北大学経済学部在学中に「JIGGER’S SON」のボーカル&ギターとしてメジャーデビュー。1999年ソロ活動開始。東日本大震災後は、友人の声優・山寺宏一さんとともにチャリティイベントを開催するなど、各地で支援活動を続けている。


三井紀代子(みい きよこ)
1973年生まれ、山口県出身。航空自衛隊で勤務後、24歳で起業。携帯電話販売代理店、中国向けインターネットを活用した教育サイトなどの運営を経て、自衛隊OBらと貴凛庁株式会社を設立。命を守る防災教育を普及する活動に取り組んでいる。