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宮城県
復興取材レポート

NOW IS.対談 in 南三陸
冨永愛さん × 宮城県漁業協同組合 戸倉出張所 後藤清広さん

すべて失って気づいた
三陸の海を守り続ける価値。

南三陸町戸倉地区。いくつかの小さな浜からなる静かな地区が、今、注目を集めています。その理由は、震災を契機に行った抜本的な養殖改革。過密だった牡蠣の養殖棚を3分の1に削減し、「量」から「質」の養殖に転換しました。2016年には、地域社会と環境に配慮した養殖業が取得できる「ASC認証」を日本で初めて取得しました。そんな戸倉地区を訪れたのは、モデルの冨永愛さん。漁協の部会長として浜を引っ張る後藤清広さんと対談しました。

ASC認証を取得した
浜の挑戦と今。

後藤清広さん(以下後藤)ー震災以前、戸倉の海には牡蠣の養殖棚がみっしり浮いていたんです。冨永さんだったら、棚の上を歩いて沖に行けたと思いますよ。船を通すのも大変だったくらいだから。

冨永愛さん(以下冨永)ーそんな状況の中、どうしてここまで削減することができたんですか?やはり東日本大震災が大きな契機だったのでしょうか?

後藤ー震災前にも、棚の削減を実験するチャンスはありました。だけど、実際にやるとなれば、少なくとも1、2年は収入が減ってしまうことになるから、実行するのは難しかった。でも、津波があって。棚も陸の施設も全部流されたでしょう。私だっていったんは、もう漁師を辞めようと思いました。そんな時、漁協に呼ばれて、牡蠣の部会長をやってくれないかと言われて。迷いましたが、もう、戸倉の牡蠣養殖を変えるチャンスは今しかないと思いました。

冨永ー最初は反対も多かったでしょう。私は、WFP国連世界食糧計画のオフィシャルサポーターとしてアフリカに行ったことがあるんですが、その土地をよくするための手法を根付かせるときに一番大切になるのは、地元の方の意識や習慣を変えられるかどうかでした。

後藤ー最初はみんな反対でしたよ。でも、とにかくやってみたら、震災前は3年育てても15g程度にしか育たなかった牡蠣が、4か月で20gまで育ったんです。

冨永ーすごい!

後藤ー確かに震災から2年は売上が減って大変でしたが、みなさんの支援があって何とか乗り切れました。今では収入が震災前の約2倍になり、労働時間もだいぶ減りました。それに、牡蠣の質が良くなって。褒めてもらえるようになると、人間、考えが変わるもんなんですね。外で就職した息子が牡蠣をやるって帰ってきて、将来のことを安定して考えられる雰囲気になりました。

冨永ー震災で気づかされたことも、あったんですね。

後藤ーこれまでずっと海のおかげでゴハンを食べていたのに、海に向き合ったことがなかったんです。3年かけて牡蠣を育てていた時は、海なんかこれが限界だと思っていた。でも、そうではなくて、私たちは海との向き合い方が間違っていたんです。海と戦うのをやめて、共生しようと考えるようになりました。

冨永ー日本で初めて「ASC認証」をとったのも素晴らしい。

後藤ー取得するのも大変ですが、守り続けるのも大変で。認証の基準が125項目あって、全部を毎年クリアしないといけないんです。でも、そのおかげで、戸倉のブランド価値が上がりました。全国展開のスーパーに「南三陸 戸倉っこかき」として並ぶんです。そうなると、浜が「ASC認証」を維持しようという空気になる。「ASC認証」の取得は、自分たちを律することにもつながりました。

冨永ー日本の牡蠣は世界に誇れる価値があります。消費者としても、環境に配慮したものを食べようという意識を持ち、応援することが大事ですよね。

(文責・沼田佐和子)
 

冨永愛(とみなが あい)
神奈川県出身。17歳でNYコレクションにデビューし、世界の第一線でスーパーモデルとして活躍。チャリティや社会貢献活動にも多数参加。WFP国連世界食糧計画のオフィシャルサポーター、国際協力NGO ジョイセフ (公益財団法人)のアンバサダー。2019年5月、消費者庁エシカルライフスタイルSDGsアンバサダー就任。


後藤清広(ごとう きよひろ)
宮城県漁業協同組合 志津川支所 戸倉出張所 カキ部会 部会長。1960年生まれ、南三陸町戸倉地区出身・在住。国際認証である「ASC養殖場認証」を日本で初めて取得し、養殖漁業のモデル地区づくりを手掛けている。