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宮城県
復興取材レポート

NOW IS.対談 in 南三陸
ワッキー貝山さん × アミタ株式会社 野添幹雄さん

まちのみんなで育む。
震災を機に生まれた新しい「資源」の考え方。

魚がおいしい港町で、最近は観光業も盛ん。そんな印象が強い南三陸町ですが、震災後、世界的にも珍しい取組が行われているんです。それが「南三陸町バイオマス産業都市構想」。「森 里 海 ひと いのちめぐるまち 南三陸」と銘打って、暮らしの中で、資源が循環し、人と人とがつながるまちを目指しています。

この日、ワッキー貝山さんと訪れた「南三陸BIO(ビオ)」は、この取組の旗振り役。家庭やお店から出た生ごみなどを回収し、エネルギーと液肥をつくる取組を進めています。

町に根付き始めた
資源循環の意識。

ワッキー貝山さん(以下、貝山)ー生ごみから、電気が作れるんですか!小さいころ、生ごみは腐らせて堆肥にしていました。

野添幹雄さん(以下、野添)ーそれも資源の循環のひとつですよね。私たちアミタ株式会社の「南三陸BIO」では、南三陸町の各家庭やお店などから集めた生ごみや余剰汚泥を、この施設で発酵させて「エネルギー」と「液肥」をつくっています。これは、震災後「人と環境にやさしく、災害に強いまちづくりをしよう」とスタートした「南三陸町バイオマス産業都市構想」の一環です。

貝山ーどうしてこういう取組が始まったんですか?

野添ー単純な復旧ではなく、震災の経験を経て、子どもたちに残したいもの、豊かさとは何か。町の方々と話し合い、未来像を描いていきました。町の中で資源を循環させ、自然と共生し、非常時のエネルギーも確保する。持続可能な町のモデルを、ここで創りたいと考えています。

貝山ーすごい構想だなぁ。今はどれくらいのエネルギーを生産しているんですか?

野添ー2015年10月から南三陸町全域で生ごみの分別回収が始まり、現在は10軒に1軒の民家に生ごみ回収用のバケツを設置しています。量でいうと、家庭や事業所からは年338トン、余剰汚泥は年1,494トンですね。この生ごみの量で発電できるエネルギーは、家庭でいうと年約18.6世帯分。液肥は田畑年420反に撒ける量が生産できます。

貝山ー未来を感じる!アミタ株式会社は、もともと関西の企業なんですよね?

野添ーはい、創業は姫路で、今の本社は京都です。3.11の時は東京が本社で、東日本と阪神・淡路、2つの震災を経験したこともあり、他人事ではないという想いが強く、震災後すぐ、ボランティアとして南三陸町に入ったんです。その時、この町の未来づくりに本気で関わりたいと考え、まだ事業もない中で、震災の約1年後に支社を開設しました。

貝山ー1年後といったら、まだ右も左も分からない時期じゃないですか!それだけ想いが強かったということですね。同じ震災を経験していたり、真っ先にボランティアに入ったり、そういう気持ちって地元の人にも通じますよね。共感を得られる。

野添ーそうかもしれません。私たちの活動が、コミュニティにもつながっているんだなと感じることも多くあります。ごみ出しは、生活に絶対必要な作業なので、自然とみんなが集まって、おしゃべりしていくんです。資源だけでなく、人の関係性もつながっていく。

貝山ー確かに。震災後、高齢者が引きこもることは大きな課題になった。資源の循環という観点で始めたことが、まちづくりにつながるっていうのは面白いなぁ。こういう取組に参加できると、町に誇りを持てる、というのもあるでしょうね。東北人は「おしょしい」(恥ずかしがる)から大きな声では言わないけど、やっぱり地元が好き。うちの地元いいでしょって思えることは、どんどんやりたいと思うんでしょうね!

(文責・沼田佐和子)


ワッキー貝山(わっきー かいやま)
1970年仙台生まれ。吉本興業を経て、フリータレントとして独立し、TV、ラジオ、イベントなど宮城県を基盤にマルチに活動中。ガチャガチャ収集家としても知られ、今年「ガチャ愛100%ワッキーが贈る 昭和レトロガチャ 最強コレクション」(グラフィック社)を出版。


野添幹雄(のぞえ みきお)
京都府出身。2016年 アミタグループ合流(入社)。持続可能な地域づくりに向け、小学生を対象にした資源循環教育講師や南三陸町での実証実験・調査等を担当。2020年より同町に常駐し、志津川高校との連携授業をはじめ同町での地域循環システムの実現と他地域への展開に取り組む。