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宮城県
復興取材レポート

NOW IS.対談 in 南三陸
さとう宗幸さん × 株式会社南三陸まちづくり未来 佐藤潤也さん

場所は変わっても、変わらない熱量がある。
前を向く南三陸さんさん商店街。

2016年5月に創刊した宮城の復興を伝える広報紙『NOW IS.』。さとう宗幸さんはその創刊号で、当時まだ仮設だった南三陸さんさん商店街を訪れています。今回は、その思い出の地を再度訪問。本設商店街として4年目を迎えた南三陸さんさん商店街の新たな歩みについてお話を伺いました。

懐かしさを残しつつ、
常に挑戦を続ける。

さとう宗幸(以下さとう)―今日は平日なのに、お客さんがたくさん来てますね。

佐藤潤也(以下佐藤)―そうですね。南三陸町震災復興祈念公園と商店街をつなぐ「中橋(なかはし)」が完成してから、お客さまが増えました。新型コロナウイルス感染症の流行で、3月から客足が落ちはじめ、4月はどん底だったのですが…。商店の方の努力で、どうにか持ち直しています。

さとう―この本設の商店街の建物は、新国立競技場を手掛けた隈研吾さんの設計でしょう。最初に知ったときは驚いたなあ!

佐藤―そうですね。「中橋」も、隈さんの設計です。

さとう―南三陸杉を使っているんでしょう。木のぬくもりを感じさせる建物で、温かみがあっていい。仮設の時も、仮設の良さがあったけどね。

佐藤―狭いなりに工夫しながら色々なことに挑戦していたのが懐かしいです。

さとう―前の仮設商店街は動員がすごかった。いつ行っても賑わっていて。みんなの「南三陸を支援したい」という気持ちをひしひしと感じる場所でした。イベントもおもしろかったなあ。海外のお客さまをお連れしたとき、ワカメの詰め放題をやっていて。すごくおもしろがってくれたのを覚えています。

佐藤―そういうエネルギーは今も変わってないですね。ここに入っている商店の方は、いつも、自分の店の売上だけではなく、商店街全体のことを考えているんです。前向きなんですよね。やってやろうという人が集まっている。今の本設商店街に移ってから3年が経ち、最近また楽しいアイディアがどんどん出てくるようになりました。今回のコロナ禍を乗り切れているのも、この前向きな雰囲気のおかげかなと思っています。

さとう―場所は変われど、変わらないものもある。そういう熱量みたいなものは、変わってほしくないものですよね。それに、この商店街は昔ながらの商店の匂いや、風景を残してくれているなと感じます。「きりこ」(※)もそうでしょう。昔、震災の前、商店の軒先に「きりこ」がずらっと掲げられていたのが、すごく記憶に残っているんです。いい文化だなと思って。今もあちこちで見られますよね。

佐藤―そうですね。イベントの時などには、広場に大きな「きりこ」を掲げたりしています。

さとう―同じ風景を取り戻すことは望めないけど、そうやって伝統的なイベントも残してくれているのは、昔から宮城に住む者としてうれしいですね。

佐藤―ぼくは志津川出身なんですけど、震災後改めて「ああ、自分はこのまちが好きだったんだなあ」と思ったんです。いいまちだなあって。商店街で事務局として働くようになってからは、地域の祭りにも参加するようになって、いい人が集まるまちだなと、より感じるようになりました。商店街は今、観光客の方のほうが多いですが、これからは、地域の方たちも集える場になってほしいなと思っています。どうやったら来てもらえるか、魅力を発信できるか考えながら、商店の方たちと一緒に頑張りたいと思っています。

※南三陸の宮司の氏子たちのために半紙で作る神棚飾りのこと。


さとう宗幸(さとう むねゆき)
1949年生まれ、大崎市出身。78年に「青葉城恋唄」でデビュー後、ミヤギテレビ「OH!バンデス」の司会など多方面で活躍。2005年に宮城県ゆかりの歌手らで「びっきの会」を設立し、チャリティ活動にも取り組む。


佐藤潤也(さとう じゅんや)
南三陸町志津川出身。株式会社南三陸まちづくり未来所属。2015年から仮設商店街事務局として勤務し、本設となった現在も同職。まちの祭りに参加するなど、まちづくりにも積極的に参加。