みやぎ復興情報ポータルサイト
宮城県
復興取材レポート

NOW IS.対談 in 亘理・山元
鈴木京香さん × 語り部 井上剛さん

ここにあることが伝える震災当時の様子。
人々の想い。

この日、女優の鈴木京香さんと訪れたのは、2020年9月に一般公開を開始した「震災遺構中浜小学校」。海から400mほどの場所にある2階建ての校舎には、震災当時、2階の天井にまで迫る約10mの津波が押し寄せました。この津波から、子どもたちと地域住民90人の命を守ったのが「屋上に避難する」という決断です。当時中浜小学校の校長を務め、現在は語り部として震災遺構を支える井上剛さんにお話を伺いました。

来て、見て感じること。
遺構をこの地に残す意味。

鈴木京香(以下京香)―先ほど井上さんの案内で校舎の中を見学させていただきましたが、本当にきれいな校舎だったんだな、と感じました。階段や天井に今も残っている木材が、あたたかな雰囲気を残していて。

井上剛(以下井上)―そうなんです。日当たりも良くて、木に包まれながら日向ぼっこできるような学校でした。90人の命を守ってくれた学校です。私たちにとっては、命の恩人のような存在なんです。

京香―当時は校長先生だったんですよね。

井上―はい、校長としての初任地で、海のそばの学校は初めてで。私は「海なし県」群馬県出身なので海とは縁遠い人生でした。それなのに1000年に一度の経験をすることになるなんて。

京香―地震の時、子どもたちは校舎に残っていたんですか?

井上―はい。高学年は教室にいて、低学年は校庭で遊んでいました。揺れが収まり、すぐにテレビをつけると「10分後に5〜6mの津波が来る」と言っている。最短の指定避難場所までは歩くと20分かかります。これは垂直避難しかないと、屋上への避難を決めました。中浜小は以前から高潮の被害を受けることが多く、校舎新築の時に敷地を2m程かさ上げし、その上に2階建ての校舎が建っているので、屋上は10m以上になると計算しました。

京香―先ほど井上さんが、屋上に続く狭くて急な階段の前でお話してくださったことが、とても心に残っています。

井上―はい。子どもたちや地域の方をこの階段に誘導しながら、「すべての責任は私の両肩にかかっている。次にここを降りるときは、全員の命が助かるときだ」と心に決めました。

京香―総合的に考えて、導き出した判断だったんですね。

井上―そうですね。でも屋上に上がってからも、心の中では何回も迷いましたよ。3波目の津波が高くて。海のほうを見ると、20mくらいの津波が押し寄せてくるんです。あの時は、避難場所まで走って逃げるべきだったのではないか、と葛藤しました。

京香―そうですか…。私は震災当時、東京にいたので、胸がつぶれるような想いをしながらも、本当のことは分かっていませんでした。今日ここに来て、津波到達地点のパネルを見て、ようやく知ることができ、この学校が残っている有難さを身をもって感じています。
でも、この校舎を残すという結論に至るまで、大変なこともあったのではないですか?

井上―いろいろな意見がありました。公開までの10年という歳月は、必要な時間だったのだと思います。それに、完成してみて分かったのですが、ここは、地域の方の心の拠り所にもなる。震災の傷がまだまだ癒えていない人も、ここに来て昔の写真や映像を見たりすれば、一緒に懐かしんだりすることができます。学校の周りにたくさんあった家々も、今は農地になっています。地域の最後の心の拠り所としても、震災遺構中浜小学校はここに立つ意味があると思っています。


鈴木京香(すずき きょうか)
1968年生まれ、宮城県出身。仙台の大学在学中に女優デビュー。NHK朝の連続テレビ小説『君の名は』主演をはじめ、数多くの作品に出演。気仙沼市と登米市を舞台にした2021年度のNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』では、ヒロインの母を演じる。


井上剛(いのうえ たけし)
1957年生まれ、群馬県出身。大学卒業後、宮城県に教員として採用。山元町立中浜小学校には2010年4月に校長として赴任した。自身の経験を学校教育に活かしてもらいたいと各地で講演しているほか、退職後は語り部として活動を続けている。