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復興取材レポート

【語り部が本当に語りたいこと】 奥松島観光ボランティアの会

震災後、殺到する被災地ガイドの要望を受けて立ち上がった「奥松島観光ボランティアの会」の語り部。語り部ガイドのコースのスタート地点にもなっている「東松島市震災復興伝承館」で、メンバーのみなさんにお話をお伺いしました。

観光ガイドから、語り部へ。
東松島市は、海水浴場や、景勝地・奥松島など、豊かな観光資源に恵まれた土地でした。しかし、東日本大震災発生の約1時間後には、最大で10mを超える津波が押し寄せ、市全体の約36%が浸水(うち住宅用地[市街地]の約65%が浸水)。多くの住宅や尊い命とともに、まちの観光資源のほとんどが失われました。

もともと「奥松島観光ボランティアの会」は、大高森や奥松島縄文村などの観光スポットを案内する地域の観光ボランティアとして、震災前から活動を続けていたグループ。震災後、被災地の視察や研修旅行などが増えたことで、全国からガイドの要望が殺到しました。そこで、「奥松島観光ボランティアの会」の活動の一部として、2012年4月から、ツアーバスに同乗して被災地を案内する語り部をスタート。当初は午前も午後も予約でいっぱい。道路や駐車場も整備されていない状態で、工事車両が行き交う中、なんとか調整しながら活動していたそうです。

現在の語り部ガイドのコースは、JR仙石線旧野蒜駅舎を改装した「東松島市震災復興伝承館」がある「東松島市東日本大震災復興祈念公園」をスタート地点に、野蒜・宮戸地区を巡る約2時間のコース。お寺の鎮魂の碑を訪れ、犠牲になられた方々の冥福をお祈りしたり、堤防の工事が進む野蒜海岸を横目に復興の状況を説明するなど、あくまでも客観的な視点で東松島の状況を伝えています。

命の大切さを伝えるために、続けていく。
現在ガイドを務める4人のメンバーは、津波により、住宅を含めたすべての財産を流失し、不自由な避難所生活や仮設住宅暮らしを余儀なくされ、親しい人を亡くされた方々です。
「話す前に胸がいっぱいになって涙がこみあげてくるけれど、来てくれる人がいるから、こらえながら、ただ伝えなきゃいけないという想いで話しています」。
「ずっとここに住んでいた人間だけど、よその土地の人が話すように頭を切り替えていますね。そうしないと、話せない。求められた時だけ、自分の気持ちを話すようにしています」。
長年ガイドを続けてきたメンバーは、慣れ親しんだ土地の変わり果てた光景を前に、語り部を続ける苦しい胸のうちを明かしてくれました。

しかし、語り部を続けることは苦しいことばかりではないと言います。全国からいただいた支援に対して、訪れた人たちに直接感謝の気持ちを伝えられることは、語り部をやっているからこそできることの一つ。また、「ここに来て、直接話を聞いたからこそ、震災時の様子がリアルに伝わった」と言われると、自分たちのやっていることが無駄ではなかったと思えるそうです。

ここ数年は、修学旅行で訪れる子どもたちも多いという東松島市。当時の記憶がない子どもたちに、言葉だけで伝えるのはなかなか難しいと言いますが、これだけは胸に刻んで帰ってほしいとメンバーが口にするのは、「命があるってことが、一番大切」ということ。

かつては観光地として多くの人が訪れた東松島市。復興の発展期を迎え、震災の記憶を語り継ぐだけではなく、東松島市の観光がさらに発展していくことを伝えるために、これからも「奥松島観光ボランティアの会」の語り部ガイドは続いていきます。

 

奥松島観光ボランティアの会
http://okumatsushima-kanko.jp/index.php