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復興取材レポート

【語り部が本当に語りたいこと】 閖上震災を伝える会 格井直光さん

地域新聞「閖上復興だより」の編集長を務め、「閖上震災を伝える会」の会長として震災を語り継ぐ活動を続ける格井直光さん(名取市閖上出身)に、お話をお伺いしました。

芋煮会からはじまった、新聞づくりと語り部活動
「閖上(ゆりあげ)」。難読と言われていたこの地名は、東日本大震災により広く世間に知られるようになりました。2011年3月11日、名取市では震度6強の揺れを観測。地震発生から約1時間後に発生した大津波の被害は、沿岸部の閖上地区に集中しました。

その閖上で、2012年から語り部活動を続けているのが「閖上震災を伝える会」です。会を立ち上げるきっかけは、「NPO法人ロシナンテス」との出会いだったと会長の格井さんは話します。
「ガレキ撤去の支援に来ていただいていたロシナンテスの方々と、閖上の復興について話をする中で、バラバラになってしまった閖上の住民が集まるきっかけづくりとして、芋煮会をやることになったんです。そこでみなさんに今住んでいる所の住所や連絡先を記入してもらい、その用紙を芋煮の引換券とすることで所在確認を行うことにしました」。

芋煮会で住民同士が話をすることで分かったのは、閖上の人たちが本当に求めている情報が届いていないということ。そこで格井さんたちは、地域新聞「閖上復興だより」の発行を決意します。芋煮会で集まった住所は約300。そこに郵送やポスティングで配送。この地域新聞「閖上復興だより」の制作が、「閖上震災を伝える会」の発足につながりました。
「新聞の取材やアンケートを通して、いろいろなことが分かってきたんです。1933年の昭和三陸地震の時に閖上に津波がきたことを示す石碑があったこと。1960年のチリ地震津波では浸水はしていないけど、名取川の河口付近で引き波にあった船の乗組員が犠牲になってしまったこと。そういった過去の災害の歴史を消してしまったことが、東日本大震災の大きな津波被害を生んだ最大の原因じゃないかと思い、新聞作りのメンバーに声を掛けて語り部の活動を始めました」。

取材を通して知った事実や閖上の人の想いも伝えていく
「閖上震災を伝える会」の発足から7年。当初4名だった語り部メンバーは8名になりました。閖上を訪れる人たちのバスに同乗し、震災前や直後の様子が分かる写真集を片手に、閖上町内、日和山、東日本大震災慰霊碑、メイプル館などをめぐる1時間半~2時間コースが基本ルート。今後は4月にオープンする商業施設「かわまちてらす閖上」などもルートに加え、まちづくりの進捗に合わせて少しずつ変化を取り入れながら震災を語り継いでいくとのこと。

その中で、格井さんたちが変わらず大切にしているのは、語り部自身の体験だけではなく、取材を通して知ったことや、閖上の人たちが体験したことも含めて発信していくこと。実は格井さん自身は仙台市内で被災したため、閖上の津波は見ていません。
「自分の体験だけを話すのでは意味がないと思っています。新聞をつくってきて、閖上の人の話をたくさん聞いているので。その話をみなさんに届けられるのが『閖上震災を伝える会』なんです」と格井さんは力強く話します。

格井さんを含め、「閖上震災を語る会」のメンバーの多くは防災士の資格を取得しました。津波被害地域を案内する語り部として、スキルアップ研修や普通救命講習にも積極的に参加しています。
「閖上だけでなく、他の地域でももう二度とこんなことは起きて欲しくないから。私たちの話を聞くことで少しでも防災・減災に意識を向けて欲しい」との想いで、格井さんたちは今日も語り部活動を続けています。

格井直光さん(右)

 

閖上震災を伝える会
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