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宮城県
復興取材レポート

NOW IS.対談 in 女川
井ノ原 快彦さん × 株式会社髙政 高橋 正樹さん

こういうまちが増えたら想像以上に楽しくなる。
女川を生きる人の物語。

V6のメンバーとして活躍しながら、情報番組での取材などを通じ、被災地への想いを積み重ねてきた井ノ原快彦さん。今回訪れたのは、生まれ変わった街並みがまぶしい女川町。ポジティブな変化を支えたのは人々の行動力でした。地元かまぼこ店の社長であり、震災直後からまちづくりに携わる高橋正樹社長にお話を伺いました。

つらいことすら楽しんで
夢を語れる場所にしたい。

高橋正樹社長(以下高橋)―大学入学からしばらくは、関東で過ごしました。2001年に女川に戻ってきましたが、本音を言うと地元への愛着は強くなかったんです。そんな時に震災が起きました。親がいる、地元があるって当たり前じゃない。「甘え」に気づいたんです。僕はこの時の気持ちを「郷土愛に頭をぶん殴られた」と表現しています。

井ノ原快彦(以下井ノ原)―ぶん殴る。それはどういう感覚だったんですか?

高橋―朝日が昇って、壊滅したまちを見て「絶対にこれは夢だ」と一度ほっとしたんです。その後すぐ、覚めない夢だと悟って。目の前が真っ暗になり、「お前何やってるんだ」とぶん殴られるような気持ちになったんです。それからすぐ、かまぼこ約7万枚を避難所に配り始めました。

井ノ原―すぐに行動を始めたと。

高橋―動かないと頭がおかしくなりそうでした。目の前の道も、震災翌日の12日には建設会社の方が片付けて。そこを通って女川、石巻、東松島に行きました。

井ノ原―連携プレーだ。その時にかまぼこを食べた人と、その後ご縁があったりしましたか?

高橋―当時高校生だった子が「食で人の役に立つ仕事がしたい」と、入社してくれました。

井ノ原―すごい。つながってる。

高橋―やっぱり人の物語なんです。人がたくさん亡くなった土地であることは事実ですが、今生きている僕らは、女川を大事にして、次世代につながないと。被災直後の必死さが徐々に「こういうまちにしたい」に変化して、次の楽しさをどうつくろうかと考えるようになりました。

井ノ原―今日、女川のまちを歩いてみて、楽しいし、すごくいいまちだなって思いました。復旧・復興と同時に、まちづくりをするというワクワクもあったんじゃないですか?

高橋―無理にでもワクワクしようとしてました。悲しさを発信しても、このまちに来たいと思ってもらえない。震災を機にまちの皆でまとまって、訪れたくなるような復興をするしかないと。

井ノ原―今の街並みは完成した姿ですか?

高橋―2013年くらいに描いた青写真は実現しました。でも、まだこれから。例えば、この前、女川小中学校が開校したのですが、そこのブランコに乗った子どもが「海と空に飛んでいくブランコだ」って。

井ノ原―いいな~!そんなところの学校に通いたい。

高橋―こんなにひどい目に遭ったのに、海とともに生きると言っちゃうんですよね、僕たちは。まちづくりを始めるとき、最初に変えてはいけないものを考えて、それは漁業だと結論が出ました。それ以外は何でもあり。スペインのバスク地方を景観のモデルにしたり、起業家を受け入れたり。いろんな人が同じ未来を目指せば、それが多様性になる。

井ノ原―あえて決めないんだ。まちをつくるって半端じゃない。NGなしっていいですね。

高橋―女川の人は「できない」より「どうやろう」を考える。まちづくりはこれ以上にないロマン。そのおかげで今楽しく生きてます。

井ノ原―その言葉を聞けると僕もうれしい。全部楽しんでますよね。やっぱり楽しまないと!


井ノ原快彦(いのはら よしひこ)
1976年生まれ、東京都出身。V6のメンバーとして活躍するかたわら、ドラマ、映画、MC、情報番組のキャスターなど幅広い才能を発揮。番組での震災取材や、台風後の炊き出し支援など、被災地とも関わり続けている。愛称は「イノッチ」。


高橋正樹(たかはし まさき)
株式会社髙政代表取締役社長。商社勤務経験を経て地元女川にUターン、経営にまい進するさなか被災。女川町、石巻市など多くの避難所にかまぼこを配布、工場の敷地を復興に向けた拠点として提供。「楽しいことしかしたくない」が信念。