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宮城県
復興取材レポート

【特集】宮城県知事インタビュー

宮城の復興の「いま」を伝える広報紙「NOW IS.」は2021年3月11日発行号で最終号となります。
宮城県として、復興の「いま」をどのように捉え、これからをどのように見据えているのか、村井知事に伺います。

菊池桃子(以下菊池):東日本大震災の発生から10年を迎えました。率直に、今、どのように感じていますか。

村井嘉浩(以下村井):あの時私は、出先から県庁に戻る途中で、車に乗っていました。急に大きな揺れがあって、目の前を見ると、アスファルトの道路が波打ってるんです。これは大変なことになったと思い、すぐに自衛隊に災害派遣要請をしました。それから一時間もしないうちに津波です。ヘリコプターからの映像を見ると、まち全体が水に浸かっていて…。正直、復興までは長い道のりになると感じました。この10年間、最優先してきたことは、災害で命を失わないためのまちづくりです。これは、住まいを高台か海から離れた内陸に移し、防潮堤をつくり、避難路をつくるというものです。10年経って、あの時思い描いたまちづくりは、おおよそ実現できたと思います。

ここまでやれたのは県民の皆さんのおかげですし、また全国、全世界からご支援をいただいた結果だと思っています。

菊池:県としては、「復旧」にとどまらない抜本的な再構築による「創造的復興」を掲げ、取り組んできました。特に印象に残っている取組はありますか。

村井:創造的復興としては、本当にいろいろなことに取り組みました。水産業復興特区として漁業権を民間に開放したり、医学部を創設したり、水道や空港の民営化もそうですね。どれも思い入れがありますが、あえて言うなら、空港の民営化です。

仙台空港の利用者が増加するなか、民間の力を借りればもっと集客できるのではと考え、政府に働きかけて法律の改正を行って実現しました。コロナ禍が落ち着けば、利用者はまた増えるでしょう。その前に全国のモデルとなるような仕組みをつくれたのは非常によかったと思います。

仙台空港民営化記念式典の様子(2016年7月1日)

菊池:仙台空港の民営化は、国が管理する空港として初めての例で、話題になっていたこともあり、とても印象に残っています。震災をきっかけに、知事ご自身の考えで変化した点はありますか?

村井:「人間は、経験ではなく歴史に学ばなくてはならない」という想いが強くなったことでしょうか。非常に後悔していることですが、津波対策については、私たちは歴史から学んでいなかった。1960年のチリ地震津波や、過去に何回かあった大きな津波から対策を考えないといけなかったんです。これは大きな反省点です。震災後は、何かあると歴史書なども見ながら、考えをまとめるようになりましたし、経験に学んではいけない、歴史に学ぶべきだということを、繰り返しお話させていただくようになりました。

菊池:私は震災当時高校1年生だったのですが、今後、震災を知らない世代も次第に増えてきます。震災の記憶の風化防止や伝承については、どう考えていますか。

村井:これは非常に重要なことです。東日本大震災は、昼間に起きたこともあり、多くの映像や写真が残っています。震災遺構も各地で残されました。これは我々にとって大切な遺産です。今後は、この遺産を後世につないでいくことが大切だと考えています。これから生まれてくる子どもたちに向けて、経験したことを粘り強く伝え続けるということは、震災を経験した人間の責務だと思います。

菊池:被災地からの発信という観点で、特に意識してきたことはありますか。

村井:常に心掛けてきたのは、感謝する気持ちを伝えるということです。自分の責務をしっかり念頭に置き、ここまで復興を進めることができているのは様々な方の支援があってこそだという気持ちを、県民を代表して発信するという想いでやってきました。

菊池:2021年3月11日発行号の特集としてサンドウィッチマンのお二人にインタビューを行いました。(記事はこちら)お二人は「10年」がゴールではないと言っていましたが、知事は「10年」という節目をどう考えていますか。

村井:私も決してゴールではないと思っています。まちづくりやインフラ整備はほぼ予定通りに進んでいますが、コミュニティ形成の問題など、まだまだ取り組まなくてはならない課題があります。私は、真の復興というのは、「元に戻った」というだけでなく、「震災前よりも良くなった、ここに住み続けたい」と思えるような環境をつくることだと思っています。被災した方々全員がそう思って初めて、復興がひと段落したと言えるでしょう。

サンドウィッチマンのお二人から「東北魂義援金」の贈呈。(2020年3月3日)

菊池:私が担当している広報紙「NOW IS.」は3月11日発行号で最終号を迎えます。最後に、これまでのさまざまな支援に対して、県内外の皆さんに一言お願いいたします。

村井:県の力だけでは、ここまで進むことはできませんでした。心から感謝しています。そしておそらく、宮城県民みんなが感謝しているのではないかと思います。被災した皆さんは、10年前、大切な人や住まい、生業を失うという大変な状況でした。それにも関わらず、今は笑顔の時間がつくれるようになりました。多くの応援のおかげだと思いますし、感謝の気持ちはどれだけ表現してもしきれません。これからも私自身、この感謝の気持ちを発信し伝え続けたいと思っています。


宮城県知事 村井嘉浩
1960年生まれ。大阪府豊中市出身。防衛大学校(理工学専攻)卒業後、1984年陸上自衛官に任官。一等陸尉で自衛隊を退職し、1992年松下政経塾に入塾。1995年宮城県議会議員選挙(宮城野選挙区)に出馬し初当選。以来県議を三期10年勤める。2005年10月に宮城県知事選挙に出馬し当選。現在四期目。


聞き手 菊池 桃子
宮城県 震災復興・企画部震災復興推進課主事。広報紙「NOW IS.」を担当。