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宮城県
復興取材レポート

皆が集う「森」を未来に残すために。わたりグリーンベルトプロジェクト 嘉藤 一夫さん

苗木づくりの活動を広げようと、苗木の「里親」制度もスタート。2年間自宅で育て、3年目に植樹に来てもらう。

「この苗木が、元の海岸林の大きさに育つまで30年かかる。その時自分は100歳。だから最近、悪い人になろうと努力してるの。憎まれっ子世に憚るっていうでしょう。やっぱりこの目で見たいからね」。

東日本大震災の前、亘理町の沿岸部は120ヘクタールの海岸林で覆われていました。
クロマツを中心に、コナラやヤマザクラなどが茂る海岸林は、太平洋からの強い潮風から農地を守るとともに、亘理町に住む人々に恵みを与える場でもありました。

「この辺の集落の人は、海岸林に行くことを『ヤマさ行ぐ』と言っていました。秋になるとキノコを採りに行きました」。

まるで里山ような場所だったクロマツの森。
そんな「おらほ(私たち)の森」を再生させようと取り組みを続けているのが、NPO法人わたりグリーンベルトプロジェクトです。

長く続けるために乗り越えるべき課題

わたりグリーンベルトプロジェクトの前身である団体が海岸林復活の取り組みを始めたのは、2011年後半のことでした。
当時沿岸部はまだ植樹ができる状況ではありませんでしたが、有志が集まり、苗木づくりからスタートしました。
次の年、住民を集めて沿岸部の未来の構想図をつくるワークショップが開催されます。

針葉樹とともに広葉樹も植えられた「森」を中心に、公園やビジターセンター、宿泊施設などに人が集まり、空にはイチゴの気球が浮かんでいる。
わたりグリーンベルトプロジェクトは、今でもこの時の基本構想図を目指し、活動を続けています。

嘉藤さんがこのプロジェクトに最初に参加したのも、このワークショップでした。
「海沿いには松があるっていう、わたしたちにとって当たり前だった景色を再生したいと思いました。最初はお手伝いだけのつもりだったんですよ。でもそのうち、周りの人がいろんな事情で続けられなくなってくる。でも、この取り組みはなくしちゃいけないと思って。それで今もどうにか続けています」。

植樹以外にコミュニティづくりの取り組みも。別の支援団体から取り組みを引き継いだ「地域菜園 おらほの畑」には、復興住宅などに入居した高齢者が集まる。

沿岸部の整備が終わり、2015年から植樹が始まりました。
今後、2020年ごろまで段階的に進めていく予定です。
「植える松は、残った松林の松ぼっくりから種をとったもの。専門家のアドバイスを聞きながら進めていますが、やはりいつも手探りです。土も生育に適したものじゃないので、いろいろやってみながら植え続けるつもりです」。

苗木づくりや植樹には、地域の小・中学校のほか、企業のボランティアツアーも訪れます。
「ツアーで参加する人は2015年をピークに減少しています。これからますます人手がいるところなんだけどね」。

木が成長すれば、草刈りなどの維持管理も必要になってきます。
「自分が植えた木がどうなっているか、見に来たくなるシステムをつくりたいですね」と嘉藤さん。
ステンレス製の名札をつくるなど、参加してくれた人のモチベーションにつながるような取り組みを模索しています。

7年続いたプロジェクトですが、今直面しているのが、活動資金の問題です。
「団体を続けていくためには、従業員に平均的な給料を出せるようにならないといけない。復興予算が減り、助成金にも頼れない状況になっています。『飯のタネ』を自分たちでつくらないと」。

そこで嘉藤さんが着目したのが「休耕地」でした。
「震災で辞めてしまった畑がこのあたりにたくさんある。ここを使えないかなって」。

取り組みを通じてつながった人たちの支援で、2018年は落花生の栽培を始めました。

嘉藤さんいわく「飯のタネ」候補の落花生。千葉市の生産者の協力を得て、栽培を始めた。

「森が育つまで30年。長い時間がかかるから世代交代しないといけない。若い人にとっても魅力ある団体になって50年後、100年後につないでいきたいですね」。
 


わたりグリーンベルトプロジェクト
嘉藤 一夫さん
わたりグリーンベルトプロジェクト代表理事。盛岡市出身。結婚後、妻の実家である亘理町に居を構えた。電子機器の会社を定年後、東日本大震災で被災。自宅は約2メートルの津波に襲われたが、現地再建した。