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復興取材レポート

“町のために”が私のために。復幸まちづくり女川合同会社 代表社員 阿部 喜英さん

町が変わるとき、そこにはいつもキーとなるプレイヤーがいます。女川町にとって、阿部さんはまさにそんな存在。

家業の新聞販売店を営むかたわら、震災の9日後にスタートした「女川町復興連絡協議会」の発足メンバーとして、観光協会や商工会のコアメンバーとして、さらには女川のブランディングを担う「復幸まちづくり女川合同会社」の代表社員として、復興の町を創造し続けています。

「復興のためにとか、町の未来をとか、そんなきれいごとじゃないんです」。

まちづくりに参画したきっかけを聞くと、阿部さんはそう言って、はにかむように笑います。

「津波で7割の家屋がなくなり、1割の方が亡くなった。そんな女川で自分が食べていくためにどうしたらいいか考えたら、やっぱりここを、いい町にするしかなかったんですよ」。

震災前の課題を解決する復興に

梅丸新聞店は震災前、女川町と石巻市の一部、約2500世帯に新聞を配達していました。

「新聞販売店はテリトリー制で、新聞を配達できるエリアが決まっています。うちはほとんどが女川町内。震災直後は、誇張でもなんでもなく、売り上げはゼロになりました。3月14日ごろから残った家や避難所を回り始めて、4月1日から個別宅配を再開しましたが、当時の部数は500部。家を回っていると肌で感じるんですよ、女川から人がいなくなったのを」。

梅丸新聞店の看板は、駅前広場に店を構える「みなとまちセラミカ工房」の作品

女川は震災前から、高齢化と若者の流出による人口の減少が進んでいました。津波はそれに拍車をかけます。

「これはまずいな、と。もしこのまま復旧しても、前の売り上げすら見込めないと思いました。震災前の課題を解決しないといけない、そのために何をすればいいのか、考えたんです」。

阿部さんは、想いを同じくするメンバーとともに議論を重ね、未来のビジョンをつくり上げていきます。

「商工業も水産業も行政も、すべてを失ったという点ではみんな同じだった。利害関係や垣根を越えて一緒にやれたというのが、良かったんだと思います」。

民間は民間の強みを活かし、行政は行政ができることを。同じ方向に向かって歩むなかで浮き彫りになった課題が、女川の「生業」でした。

「基幹産業の水産業が立ち行かなくなると、住み続けられなくなる人がでてしまう。そういう事態を避けたいと思ったんです」。

「ガレキだらけの中、何が出来るか話し合い、まずは全国から支援頂いた皆様に女川の商品を応援してもらうために、足がかりとして、もともとあるいい商品をネットで売りたいと。女川をブランド化しようと考えました」。

女川の名産を一堂に集めた通販サイト「あがいん女川」では、10社32品目のブランド認定商品を販売。2016年には女川駅前商業エリアに実店舗をオープンしました。

「あがいん女川」の商品を販売する店舗「あがいんステーション」には、コーヒーショップとコラボしたオリジナル品なども並ぶ

さらに今、力を入れているのが「ブルーツーリズム」です。

「視察に来た人が気軽にできて、海が荒れていてもできる体験プログラムを始めています」。水揚げしたばかりのホタテやホヤの殻を剥き、バーベキューや海鮮丼として味わえる水産業体験は、予約すれば5人から受け入れ可能とあって、リピーターも増えています。「小学生が『これ、俺が知ってるホタテじゃない!』と言ったのを聞いたときは、してやったりと思いました」と笑います。

水産業体験は室内で実施するものもあり、雨の日も対応できる。新鮮な海産物を味わえるのも魅力

「何度も来て、食べて買って、という循環が生まれれば、雇用も生まれます。石巻市や周りの市町とも連携しながら、被災地全体に人が来るのが理想ですね」。

阿部さんが現在新聞を配っているのは、およそ1350世帯。震災前には及ばないものの、今年に入って人が動き始めたのを感じていると言います。

「女川で商売をしたい、と入ってくる人もいます。なんだかおもしろいな、といろんな人が集まる町にしていきたいですね」。

梅丸新聞店 代表取締役
復幸まちづくり女川合同会社 代表社員
阿部 喜英

小学4年生から新聞配達を始め、家業の新聞販売店を継ぐ。復幸まちづくり女川合同会社のほかにも、商工会や観光協会などにも積極的に関わるほか、女川の情報を集めたフリーペーパーも発行。