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宮城県
復興取材レポート

浜に根付いて世界に向かう 一般社団法人はまのね 代表理事 亀山 貴一さん

地域課題は可能性。震災をプラスに浜の魅力を発信する。
石巻市街地から、半島の曲がりくねった道を車で約20分。林を抜けた先に、ぽっかりと現れる小さな集落が、蛤浜です。穏やかな波音と木々の葉擦れの音。人口は、わずか2世帯5人。静けさを絵に描いたようなこの浜は、今、カフェ好きの人たちの間で大きな話題となっています。

築100年の民家を改築した海の見える「はまぐり堂」。訪れた人は4年で5万人を突破しました。  「はまぐり堂」は、亀山貴一さんが推進する「蛤浜プロジェクト」の中心施設としてつくられました。なぜこの地でカフェを始めようと思ったのか。今回は、そのきっかけ、カフェに込める想いを、亀山さんにお聞きしました。

地元の人が戻ってこられる場を、とはじめた「はまぐり堂」。

集落とともに生きる循環型のプラン
亀山さんは、生まれも育ちも石巻市牡鹿半島の蛤浜。九州の大学に行きましたが、宮城県水産高校の教員となり浜に戻りました。

「震災までの暮らしは、私にとってとても理想的な暮らしだったんですよ。浜で暮らせて、職場までは車で10分で着くし、近所の人もよくしてくれて。それが、津波によって妻と子ども、ふるさとも一瞬で全部奪われた。ここで何もしなかったら、ワリに合わない、震災があったらから今があるって言えるようになろう、と思ったんです」。

「蛤浜プロジェクト」がスタートしたのは2012年3月。久しぶりに帰った浜で、これからの浜がどうなってゆくのか不安に思う人々と、震災後も変わらずに美しい海を見て「この暮らしをここで途切れさせたくない」と思ったそうです。

少ない世帯数でも暮らしを継続する仕組みを考え、「暮らし」「産業」「教育」を柱に、交流人口の増加を目指しました。季節の食材を提供するカフェ&レストラン、子どもも大人も海に親しめるアクティビティー、浜の暮らしを体験できる宿。「立地が悪すぎる」という声も「必ず響くはずだ」と信念を貫き、5年目でほぼすべての計画を実現しました。

2012年3月に亀山さんが描いた蛤浜の未来の想像図。

一方で、課題も生まれました。カフェの利用者は年間1万5000人。急激な変化に、浜の暮らしが変わった、と住民の戸惑う声が高まったのです。亀山さんは、一度立ち止まり、最初の理想に立ち返ります。

「一番大事にしたいのは、地域の人に喜んでもらえるかたちで、蛤浜を残していくこと。交流人口を増やすだけではなく、本当の幸せとは何か、それをどうやったら実現できるのか、考えました」。

たどり着いたのは、地域課題を事業にすること。未利用の山や海の資源、獣害が問題になっている鹿の活用など里山の資源が循環するプランを描きます。

「地方には活かされていない資源がたくさんあって、それらを今の時代に合わせた形にすることが大切だと思います。世界的な料理人や職人もそれに注目しています。そのために不可欠なのは、『仲間』です」と亀山さんは言います。

「共感し助け合える仲間が最も大切です。地元の方とは、これまで以上にしっかり話をし、ともに進みたい。一緒に生きていきたいと言ってくれる人も現れ、先日この浜で結婚式を挙げることができました」。

地に足をつけて地道に活動する中で、本来の浜の暮らしの良さを引き出していきたい。その想いで一歩一歩、着実に前に進んでいます。

建設を進めているマリンアクティビティーの拠点施設。

今、石巻市は二極化しているように感じると、亀山さんは言います。

『この街は終わりだよ』って暗い顔の人たちがいる一方、『石巻から世界を目指そう!』と熱く語る人たちもいます。震災で衰退した事業もありますが、その反面、志を持った人が増え、一流の人たちと関わるなど、チャレンジできるフィールドも近くなりました。

「震災があって、ふるさとがなくなるかもと思った。明日死ぬかもと思った。運良く残された命。だったら、前を向いて地域のためになることや、ワクワクや可能性を事業にしたいって、いつも思っています」。

一般社団法人はまのね 代表理事 亀山 貴一(かめやまたかかず)さん

1982年、石巻市蛤浜出身。宮崎大学と石巻専修大学で水産を学び、震災前までは宮城県水産高校で教師として勤務。2013年に退職し、一般社団法人はまのねを立ち上げ、プロジェクトの活動に専念している。