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宮城県
復興取材レポート

<特集> 宮城の底力は「おとりよせ」にある

新型コロナウイルス感染症の流行で、この春、私たちは外出の自粛を余儀なくされました。
そんな時、暮らしを彩ってくれるのが「食」です。
宮城の山海の恵みと、人々の努力が生み出した一品で、
東日本大震災の被災地の今に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

そのままでもおいしい宮城の食材を
努力と工夫でもっと食べやすく。

おいしい食材を、
さらに改良しようとする前向きな姿勢に感銘。

宮城の「おとりよせ」の品々をナビゲートしてくれるのは、「奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊」の伊達政宗公。2010年に「現代に蘇って」から、さまざまなイベントやキャンペーンなどに出陣し、宮城の食をPRしてきました。

「食は宮城の誇りじゃ。400年前のわしも料理を趣味としたことで知られておる。毎日その日の献立を自分で考えておった故、当然宮城の食材にも精通いたしておったぞ」。

「鯖の冷燻」をつくる「山内鮮魚店」の方々にも、よく会う機会があるとか。

「店の者たちは、いつもとにかく元気じゃな!」と政宗公。「宮城の鯖はそのままでもうまいが、冷燻のような新しい技術を使って、さらに改良しようという姿勢はすごいことじゃ。南三陸の者たちは、気持ちも体も強いと感じておる。当たり前の顔をして頑張る姿を見ると、わしも感無量じゃ!」。

見た目が嫌われがちなホヤは
加工することでより身近な一品に。

伊達武将隊では、ホヤのPRも頻繁に行っているそう。政宗公は、ホヤを自分で捌いて味わうことも多いとか。

「池袋の宮城ふるさとプラザに出陣した時は、その日の朝に取れたホヤを持ち込んでPRした。ホヤは奇妙奇怪な見た目で倦厭している者たちも多いから、加工品になっていると食べやすいかもしれぬな」。

2019年宮城ふるさとプラザで行われた「みやぎ旬食祭」の様子。ホヤの試食会とPRが行われた。

「海かおるホイスターソース」、「ほやたまご」は、食べやすく、親しみやすいかたちで、ホヤのおいしい部分を引き出した商品です。ホヤは鮮度を維持したまま流通させるのが難しい海産物ですが、加工品ならおとりよせやおみやげに使えるのも魅力。

「ホイスターソースは、和洋中いろいろな料理に使えるようであるな。わしも試してみたい」と政宗公。 

結成10年。
宮城の民とともに歩み続ける決意。

「奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊」が現代に蘇ったのは、東日本大震災の前年の2010年夏。震災後、宮城をPRするという自分たちの役割をより強く実感した武将隊の面々は、2011年5月から、支援のお礼と宮城の魅力をPRするために、全国の主要都市を回ったそうです。

「この時、全国の皆が、仙台や東北のことを注目していると実感いたした。支援してくれる皆の想いを大切にとらえ、宮城を内側から元気にしていきたいと思ったのじゃ。東北六魂祭の開幕宣言を務めた時は、人々の目に希望を感じたな。400年前もこの奥州は大津波に襲われており、その規模は東日本大震災と同程度だったといわれておる。その歴史に学び、備え、現世でも民と歩んでいきたいと、わしは決意したのじゃ」。2020年で結成10年を迎える伊達武将隊。

その想いは今も変わらず、全国を飛び回りながら宮城の魅力をPRしています。

落ち着いたら、
人々に会いに宮城に足を運んで。

宮城の食を知り尽くしている政宗公。特に印象に残っている食べ物はありますか、と聞いたところ、満面の笑みで「石巻に訪れた時、自分で手作りしたタラコじゃな」とのお答え。

「我ら武将隊が主催するバスツアーで石巻の沿岸部を巡ったことがあってのう。その時タラコの手作り体験をさせてもらったのじゃ。石巻の者たちと、ものづくりへの思いや震災時の話をしながら、自分の手で加工するという経験が、ただでさえおいしい石巻のタラコをよりおいしく、印象深いものにしてくれたのだと思う。現地で味わう食は、なにものにも代えがたい。今はまだ『宮城に足を運んでほしい』とは言えぬが、この騒ぎが落ち着いたら、おとりよせした品々をつくった者たちの顔を見に、遊びに来てほしい」。

現在は動画などを活用して宮城の魅力を発信しているという政宗公。
政宗公が愛した宮城の景色や歴史、人々の暮らしを想いながら、「おとりよせ」の品々を楽しんでみては。

ナビゲーター

奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊
伊達政宗

およそ400年前、仙台と宮城の礎を築いた伊達政宗公。2010年に現代に蘇り、宮城の観光PRや食、文化を発信する取り組みを続けている。現在は、YouTubeのチャンネルで、演武や観光PR動画などを配信する活動に力を入れている。