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宮城県
復興取材レポート

七ヶ浜のグランマたちに、 編み物で「生きがい」を。
Yarn Alive テディ・サーカさん

生き生きと編み物を楽しむグランマたち。

日本で三番目に古い海水浴場・菖蒲田浜を有し、多くの海水浴客でにぎわう七ヶ浜町。
ここには、アメリカ人宣教師らが開発した高山外国人避暑地があり、夏になると多くの外国人でにぎわいます。

そんな高山外国人避暑地でセミリタイヤ生活を送っていたのが、オハイオ州出身のテディ・サーカさん。
宣教師の夫とともに来日し、避暑のためにこの地を訪れたのが、38年前のこと。

ここを気に入ったテディさんは、12年前に「セミリタイヤしたい」と夫に告げ、七ヶ浜町に引っ越しました。

「あまり地元の人とも交流がなかったんです」と話すテディさんは、家族に囲まれてしばらく穏やかな生活を送っていました。

そんなある日、東日本大震災が起こったのです―。

世界の困っている人々へ ― 七ヶ浜のグランマからの贈り物

東日本大震災の津波により、七ヶ浜町では多くの建物が流失。
大勢の方が避難所や仮設住宅での生活を余儀なくされました。

そんな中、高山外国人避暑地に暮らすテディ・サーカさんの頭に、友人からのある話がよぎりました。
「阪神淡路大震災のとき、将来を悲観して自殺してしまったお年寄りがいたそうなんです。それは絶対に起こってはいけないと思いました。だから、私は友達と避難所をまわって、グランマ(=年配の女性)たちに『編み物をしない?』って聞いて回ったんです。私の祖母も母も編み物が大好きで、私も5歳のときから編み物をしていてね。私の母は、よく祖母に『今日は、これとこれを編んでね。ほら、仕事がいっぱいだからいつまでも元気でいなくちゃいけないでしょ』って言ってた。だから、避難所のグランマたちにも何か”やること”が必要だと思ったんです」と、テディさんは当時を振り返ります。

震災後、オハイオ州にあるテディさんの実家には、近所の人たちが義援金を届けてくれました。
それを受け取ったテディさんのお母さまは、義援金と一緒にたくさんの毛糸をテディさんに送ります。
こうして、毛糸(=Yarn)を使って人々が生き生きする(Alive)グループ「Yarn Alive(ヤーン・アライブ)」が立ち上がったのです。

「編み物、全然やったことないんだけど…」。そう言いながらも、次々集まってきたグランマたち。
お互いに教えあいながら、次々にひざ掛けや帽子などを編み上げていきます。

テディさんは、それらを気仙沼の子どもたちや熊本地震の被災者へ贈りました。

さらには、ネパールやヨルダンのシリア難民キャンプにも贈りました。
シリア難民の子どもたちが目を輝かせて身に着けている帽子を見て「これ、私のよ!」と喜ぶグランマたち。

こうして、編み物をすることが、七ヶ浜のグランマたちの生きがいとなっていきました。

活動の様子が、アメリカの「ウォールストリート・ジャーナル」やNHKなどで紹介されると、日本のみならず世界中から毛糸が送られてくるようになりました。

グランマたちの手でつくられる編み物たちは、世界中の方々から届いた毛糸でつくられています。

「そのときは、私の家が毛糸でいっぱいになっちゃって。どこか毛糸を保管できる場所と、仮設住宅を出たみなさんが集まれる場所がほしくて。それで、この場所に『Yarn Alive House』を建てたんです」と、テディさん。

実は、居住禁止区域にこうしたコミュニティスペースができるのは、宮城県初のこと。
「かわいくなくちゃ、気分が上がらないでしょ。だから、外観は赤。内装は、七ヶ浜の海の色なの」。

かわいらしい雰囲気の部屋の中で、今日もグランマたちは楽しそうに、遠くの誰かを思って編み物をしています。

「Yarn Alive House」は台湾やそのほかの国々、日本国内からの寄附で花渕浜に建設されました。


Yarn Alive(ヤーン・アライブ)
テディ・サーカさん

アメリカ・オハイオ州出身。宣教師の夫とともに、1975年に来日。2011年6月に「Yarn Alive」の活動を開始。現在は一般社団法人化し、日本のみならず世界中の被災地や福祉施設などに七ヶ浜のグランマたちの手編みのニットを届けている。