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復興取材レポート

【NOW IS.復興インタビュー】南三陸ホテル観洋の女将 阿部憲子さん(第1回)

5月11日発行のNOW IS.では、はるな愛さんが南三陸をまわりました。その時ガイドしてくれたのが、南三陸ホテル観洋の女将、阿部憲子さん。阿部さんのお話を2回にわたってご紹介します。

南三陸ホテル観洋

生き残ったホテル
南三陸ホテル観洋は津波により浸水した部分もありましたが、高台の岩盤の上に建てられていたため、震災直後より被災した住民の受け入れなどを精力的に行いました。

「南三陸ホテル観洋は私の父が創業しました。父はチリ地震大津波を経験していて、その教訓を活かして地震に強いホテルを建てよう、と地盤の強い岩盤の上にこのホテルを建てました。残るべくして残ったホテルだと言えるかもしれませんね」。

津波による甚大な被害
「街の中心部である志津川地区は東日本大震災の津波により8割が被災しました。15m以上の津波が街を襲ったのです」。

震災発生直後、阿部さんやホテルのスタッフは、宿泊客とホテルに避難してきた住民の方々などの対応に追われていました。

「街中から避難してきた人々の話を聞いて、指定の避難所ではなかったのですが『当館は人々の受け入れ先にならないといけない』とすぐに意識しました。」

阿部さんは、ホテルの調理の責任者に、「今ある食材を使ってみんなが1週間しのげるメニューを考えて欲しい」と指示しました。この深刻な状況がどこまで長期化するかわからない危機感をすでに感じていました。

震災直後から、何が出来るかを次々と考え行動に移す中で、「『みんな悪い事をしたわけじゃない。南三陸町は復興のモデル地区になり、そしてホテルはその拠点になる』という、創業者である父の言葉もあり、みんなで力を合わせてこの震災を乗り越える事を誓いました」。
「避難所として住民の方々を受け入れるだけでなく、この場所が新しいコミュニティの始まりと捉え、館内ではボランティアの方々の協力をいただきながら、様々なイベントを開催することにより、交流の場を作りました。その後も、地域の雇用を守ることや、交流人口拡大を目指し、けん引役になるよう努めました」。

「語り部バス」で伝える震災の記憶
「今私が心配なのは、みんな東日本大震災のことを忘れて、はじめから何もかも無かったことにされるということです」。

そこで始めたのが『震災を風化させないための語り部バス』の取り組みです。きっかけのひとつは2011年夏からのお客様の道案内。

「目印も標識も無い町の中で、風景がどんどん変わっていき、震災風化も早くから感じる中で、語り部が必要だと感じました。初めて町を訪れるお客様から『ここはもともと野原だったのですか』と尋ねられ、『これは震災当時だけでなく元々の町の様子も説明しなければ』と感じたのも契機になりました」。

バスの案内は、毎日朝の8時45分からスタートし、約60分で戸倉地区や防災対策庁舎、高野会館などを周ります。語り部は南三陸を知り尽くしたホテル観洋のスタッフや住民語り部の方々です。乗車の予約は必要ですが、1名様からでも利用できます。

「語り部バス利用のお客様の言葉で印象に残ったのが、『現地に足を運ぶことの大切さと必要性を強く感じた』という言葉。お客様が被災地に足を運ぶことが復興や町の未来に大きなチカラとなることを実感し、この取り組みを続けていく事を心に決めました。」

みんなが語り部
「私がよくスタッフやお客様に言っているのは、『マイクを持っている人だけが語り部ではない』という言葉です。どんな形であれ、経験を人に伝えるということは命を守ることにつながります。みんなの力で震災の教訓を伝えることが、この先もっともっと大事になってくると考えており、是非多くの皆さまに語り部バスにご乗車いただくことを願っております」。

※第2回はこちら

阿部 憲子 あべ・のりこ
南三陸ホテル観洋女将。1962年5月3日生まれ。気仙沼市出身。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」と「人気温泉旅館ホテル250=五つ星の宿」に選出。震災後は、震災伝承や復興まちづくりにまつわるシンポジウムなどで講演活動も行っている。