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宮城県
復興取材レポート

【松島・七ヶ浜 探訪】
すばらしい環境。いい風景。さまざまな側面を知って。

>>「NOW IS.対談 稲垣潤一さん×「松島パークフェスティバル」実行委員長 新田一修さん」 の記事はこちら。

松島パークフェスティバルの新田さん(右)、佐藤さん(左)と。

音楽を通して
息の長い支援を。

稲垣潤一さんは、東日本大震災から8年たった今も支援を継続しています。「松フェス」に出演するきっかけになったのも、そんな支援のひとつでした。
「さとう宗幸さんをはじめとする宮城県のミュージシャンが、東北の子どもたちを支援する『みやぎびっきの会』に参加しているのですが、そのチャリティーライブのサポートミュージシャンが、副実行委員長の佐藤達哉さんだったんです」。

佐藤さんは頷きます。
「稲垣さんに来ていただいて、松フェスの飛躍の年になりました。新田くんとは同級生。音楽にもできることがあるのでは、と小さな有料ライブから始めました。自然の中にステージを組むのはおもしろい。初年度なんか、海から霧が上がって、まるでスモークをたいたようで。瑞巌寺も、最初からやってみたかった。本堂に響いて、鳴りがすごかったですね」。

「本当に」と稲垣さん。「見るだけじゃない瑞巌寺の楽しみ方が生まれましたね」。

金色の襖絵を背景に歌う稲垣さん。

松フェスの翌日、稲垣さんは七ヶ浜町へ。
『稲垣潤一東北サポート基金』の活動の一環として楽器の修理代などを支援した七ヶ浜町立向洋中学校を訪れました。

『稲垣潤一東北サポート基金』では、これまで1800万円以上の支援を行っています。

学校では吹奏楽部の生徒たちが『クリスマスキャロルの頃には』を演奏してお出迎え。
「わざわざ練習してくれるなんて」と稲垣さん。「この中の何人かが音楽を続けて、いつかステージで再会できることを夢見ています」。

七ヶ浜町には、コンサートホールもあります。それが、次に訪れた「七ヶ浜国際村」。太平洋を遠くに臨むガラス張りのステージがある「国際村ホール」で知られます。

「噂には聞いていましたが、いいホール」と稲垣さん。

震災の時は、七ヶ浜国際村も避難所になりました。
「ピーク時には400人が避難しました」と案内してくれたのは、七ヶ浜国際村の鈴木裕治さん。
「セミナー室など小さな部屋がたくさんあるので、地域ごとに分けたり、赤ちゃんがいる家族をまとめたり、避難者に配慮した体制が組めました。中庭の池の水をトイレの水として使えたこと、館内のレストランのシェフが炊き出しをしてくれたことなどもあって、避難所としてはいい環境だったようです」と鈴木さん。

七ヶ浜国際村の「国際村ホール」のステージで。「津波の時は、向こうにトラックが浮いていました」と鈴木さん。

稲垣さんは中庭の池を見ながら「造った当初は、そんなふうに使われるなんて考えていなかったでしょうね」と感慨深い様子。

「今来ると、ここが避難所だったとは想像がつかない。復興が進んだこともあるでしょうし、みなさんの努力の賜物なのでしょう。昨日と今日歩いた場所は、復興が進んでいるなと思える場所が多く、素晴らしい環境だなと思いました。でも、まだまだ支援の手が必要な場所、人がいます。ひとつの場所だけでなく、宮城のいろいろな側面を見てもらえたらいいなと思います」。

【ここに注目! NOW IS.EYE’S】

明治〜昭和初期から外国人避暑地として知られる七ヶ浜町。「七ヶ浜国際村」では交流の歴史を背景に、ライブや演劇、展示などを行っています。中庭の池を望むカフェ・レストランは地元住民に人気。


稲垣潤一(いながき じゅんいち)
1953年仙台市生まれ。中学時代からバンドをはじめ、仙台市でドラムボーカルとして活動したのち、「雨のリグレット」でメジャーデビュー。代表曲に「クリスマスキャロルの頃には」などがある。