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宮城県
復興取材レポート

【東松島 探訪】
普段は近くでウロウロして、必要な時に寄り添う。音楽家としての支援。

>>「NOW IS.対談 in 東松島 坂本サトルさん×「KIBOTCHA(キボッチャ)」運営 三井紀代子さん」の記事はこちら

ソックモンキー「おのくん」を持って、「空の駅」にて。

さまざまな立場で
関わり続けること。

「震災に限らず、廃校になった学校をどうしようっていう問題を抱える地域は、今後も日本中で出てくる。学校はもともと地域の中心だった場所でしょう。KIBOTCHAは、そういう地域のモデルケースになりそうですね」と振り返る坂本さん。

「震災後、慰問公演というものには考えさせられるシーンが多かったですね。ある避難所では、朝から晩まで慰問というパフォーマンスが繰り広げられるわけですが、そこで生活している方には騒音でしかない場合だってあるわけです。それに気づいてからは、呼ばれたら歌うという姿勢に徹しているので、今日のように歌ってほしいといってもらえるのは、とてもうれしいです」。

「KIBOTCHA」の「林間ビーチ」では防災体験と組み合わせたバーベキューを楽しめます。グランピングのようなスペースも。

次に訪れたのは、ソックモンキー「おのくん」の制作・販売の拠点「空の駅」。
小野駅前応急仮設住宅の人々の手仕事として始まり、今では、全国に多くのファン「里親」がいます。

「おのくん」の制作者であり、語り部としての役割も担う武田文子さん(右)とプロジェクトの代表、新城隼さん(左)。

「人形を買った人のことを、里親って呼んでるの?」と坂本さん。
リーダーの武田文子さんは頷きます。「親になったみたいな気持ちで東松島のことを広めてほしいと思ってるの。名字は『めんどくしぇ』なの。みんな、めんどくしぇ、めんどくしぇって言いながら作るから」。

おどけてそう話す武田さんですが、震災の日、壮絶な経験をしています。
「車で逃げて、津波に飲まれたの。首まで水に浸かって冷たくて。もうダメだと思ったとき、切り株が窓を破ったから、そこから逃げたの」。

硬い表情で聞き入る坂本さん。
「私の命以外、何にも残らなかった。涙が出るまで、2年かかった。大人だから。笑うのはできるんだけどね」。
あぁ、と声を漏らす坂本さん。

「僕、4月9日に小野の公民館で歌っているんです。ぜひ、と言われて引き受けたはいいものの、ここで歌っていいのか、何を歌おうって。覚悟を決めて歌い始めたら、前の方の人たちからどんどん泣き出すんです。その人たちも『震災後、初めて泣いた』って。ずっと心に引っかかっていたんだけど、あれでよかったのかもしれない…」。

そう思う、と武田さん。「食べ物以外も、いろんな支援があったんです」。

坂本さんは、さっそくお気に入りの「おのくん」の「里親」に。
京都から移住してプロジェクトを運営する新城隼さんと「GWにおのくんの『生誕祭』をやっているので、ぜひ来てください!」と握手を交わしました。

ソックス1足から1体の「おのくん」が誕生します。

「寄り添う、ってことなんだろうな」。取材を終え、坂本さんはそうつぶやきます。

「僕たちクリエイターができることって、背中を押すでも、手を引っ張るでもなく、寄り添うこと。背中を押すのは、今日会った三井さんや新城さんのような人で。いつも隣にいますよ、声かけてください、って言うのが音楽にできることなんだ。出すぎず引きすぎず、普段は近くでウロウロして。そんな存在感がいいんじゃないかなと思っています」。

【ここに注目! NOW IS.EYE’S】

名字が「めんどくしぇ」、名前が「おのくん」。10人ほどの縫い手が手作りしています。ソックモンキーを選んだのは、当時物資として送られてきた靴下が余っていたから。靴下、綿の支援は、今も継続して募集しています。


坂本サトル(さかもと さとる)
1967年生まれ、青森県出身。東北大学経済学部在学中に「JIGGER’S SON」のボーカル&ギターとしてメジャーデビュー。1999年ソロ活動開始。東日本大震災後は、友人の声優・山寺宏一さんとともにチャリティイベントを開催するなど、各地で支援活動を続けている。