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復興取材レポート

【復興インタビュー】仙台89ERS 渡辺太郎社長

男子プロバスケットボールB2リーグに所属する仙台89ERS。2005年の創設以来、熱狂的なブースター(=ファン)の応援を受け、宮城・仙台になくてはならないプロスポーツ球団となっています。特に東日本大震災後は「スポーツの力で地域を元気に」を掲げて活動し、多くの人々を笑顔にしてきました。そんな仙台89ERSのフロントトップとして、チームのかじ取りをする渡辺太郎社長(以下、渡辺社長)に話をお聞きました。

渡辺社長は、自身もバスケットボール経験者で、仙台高校ではキャプテンとして活躍し、東北工業大学に進学。卒業後は一般企業に就職しました。2004年には、「東北楽天ゴールデンイーグルス」に入社し、スポーツエンターテイメントの世界に身を投じることになりました。

そして2011年、東日本大震災が起こったあの日、渡辺社長はスタッフとして、日本製紙クリネックススタジアム宮城(現・楽天生命パーク宮城)でプロ野球の開幕戦に向けた準備の真っただ中でした。

発災直後の混乱が落ち着いた後も、「野球なんかやってる場合じゃない―」、そんな声が球団内部から上がったそうです。しかし、「星野(仙一)さんが選手や職員に、野球を通じて貢献しようと、明確に道しるべを示してくれました。それを受けて、僕たちは野球を見ていただくための環境を整えるため自発的に奔走し、県内20か所の避難所にテレビを設置して、4月12日からのアウェーの開幕戦(対千葉ロッテマリーンズ)を見ていただけるようにしました。その後、4月29日に仙台でホーム開幕戦ができたときは、ファンのみなさまから『やっと野球が見られる!』と本当に喜んでいただいて。たくさんの観客の方々に集まっていただき、“スポーツの力”を感じました」。

その頃、仙台89ERSは震災の影響により一時的に解散。現在ゼネラルマネージャーを務める志村雄彦氏は当時選手として所属していましたが、琉球ゴールデンキングス(沖縄)にレンタル移籍を余儀なくされました。志村氏は、故郷であり、所属チームのある宮城・仙台のためにとプレーし、その年のチャンピオンシップで優勝。見事日本一に輝いたのです。

渡辺社長は、「僕が仙台89ERSの経営に携わったのは2018年からで、当時のことは聞いた話でしかないのですが、『解散』は本当に苦渋の決断だったと思います。だから、今のチームを作るときに、オーナーのデイビット・ホルトンと志村と話したんです。あの時に日本中、そして世界中から受けた恩を返していこう、って」。

それは、彼らが被災地のチームとして元気よくプレーすること。そして、甚大な被害を受けた被災地に、ずっと関わっていくこと。

©仙台89ERS

2018-2019シーズンは南三陸町で、2019-2020シーズンは亘理町で開幕前の合宿を行い、町民のみなさんとの交流も行いました。「町の方との交流という側面はもちろん、僕らが合宿を行うことでメディアに紹介いただいて、こうやって合宿ができる施設があることをお伝えするのも一助になるのかな、と。いろいろなところから合宿に来てもらえたらいいなと思います」。

©仙台89ERS

東日本大震災から9年の3月11日。渡辺社長は89ERSの選手、スタッフと共に仙台の荒浜を訪れ、黙とうを捧げました。「復興って、『いつか終わるもの』ではなく、ずっと続いていくものだと思います。これからも、僕らはバスケを通じて地域に貢献していきます。まずは、B2で優勝して、みなさんを喜ばせたいです」。そう言って、表情を引き締めました。

©仙台89ERS

仙台89ERS

https://www.89ers.jp/