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復興取材レポート

【復興インタビュー】みらい造船

港町・気仙沼にある「みらい造船」。希望に満ちた名前を持つこの造船所が誕生したのは、東日本大震災後の2015年。震災前まではライバル関係にあった気仙沼の4つの造船所が合併してできたのです。4つの造船所が手を携え、未来を見据えて立ち上がった背景について、木戸浦健歓(きどうら たけよし)社長にお話を伺いました。

お客さま、そして造船所に関わる人を守っていかなくてはならない

気仙沼湾に面し、大島を望む気仙沼市朝日町。

ここに「みらい造船」はあります。大きな船が陸上にあげられ、普段は水中にあって見ることのできないスクリューやアンカーを見上げると、思わず感嘆の声がもれます。

木戸浦社長は「震災直後の気仙沼の映像をご覧になったことがある人も多いと思いますが、うち(当時:木戸浦造船)もぐちゃぐちゃの状態でした。造船会社を残していくためには、施設も同じように元通りにしなくてはならないのですが、造船業というのは設備産業であり、ひとつひとつの設備が高額なんです。各々の造船所で再建するのは大変なので、『みんなで使う造船所を、まず元通りにしませんか』と声をかけました。一つの設備をみんなで使うという考えもあると思いますが、その場合、上乗せの費用が生じてしまう。それで『一緒の会社になりましょう』と、合併することになったんです」と話してくれました。

木戸浦社長の母体であった「木戸浦造船」のほか、「吉田造船鉄工所」「澤田造船所」「小鯖造船鉄工所」の4社、その後2019年に「ケーヤード」が加わり、5つの造船会社が一つになりました。合併当時を振り返り、木戸浦社長は「なかなかスムーズにはいかないですよね」と苦笑します。「会社の名を自分の代でなくすというのは、経営者として難しい決断だったと思います。私も『木戸浦造船』をなくしていいのか、という気持ちはありました」と話してくれました。

それでも「私たちは、お客さまから望まれている船を望まれている形で提供しなくてはならない。これは、『みらい造船』に加わったどの会社もそう考えています。私は、この『みらい造船』の設立を“復興のため”と言うつもりはないんです。お客さまに望まれている業種として、残っていかなくてはいかない。それに、造船業って、造船会社だけじゃ何もできないんですね。本当にいろいろな人が関わってくださっている。その方たちの仕事をなくすわけにはいかないですから」。

最新鋭の設備「シップリフト」を導入と未来を見据えた経営戦略

2019年、国内3例目となる「シップリフト」を導入して現在の場所に移転してきました。木戸浦社長は「このシップリフトの導入は非常に高額なので、入れたくても入れられない造船所も多い。そんな中で、造船復興補助金をいただいて、こうして稼働できているのは本当にありがたいことです」と話します。

この最新鋭の「シップリフトシステム」とは、一体どのようなものなのでしょう。建設を手掛けた五洋建設株式会社によると、『桟橋上に設置した電動ホイスト(巻上機)を使用して、プラットフォームをエレベーターのように垂直に上昇させることで、船舶をリフトアップするものである』とあり、作業効率がアップし、防潮堤の中に造船所を建設することができるそう。

木戸浦社長は「造船所として理にかなっているのですが、なにせ価格が高い。陸地も1000トンくらいの重量に耐えられないといけないので、地盤から作らなくてはなりませんでした。日本では、千葉県の富津にあるISB、沖縄県糸満市にある新糸満造船、そしてみらい造船の3社だけがこの施設を有しているんです」と教えてくれました。

気仙沼は、漁港、水揚げしたあとの水産加工、造船がそろっているのは全国でもかなり稀有な場所。「ここで続けていく。それが大切なんです」と、木戸浦社長は話してくれました。

今年で震災から10年。ここまでがむしゃらに進んできた「みらい造船」の、この先の目標を伺いました。「3年くらいは国内の需要に応えていくことが優先されると思います。ただ、国内の需要が減少しても漁船建造や修繕をする施設や組織を維持しなければならないと考えているので、海外の需要や新しい事業にも挑戦しなければならないと考えています」。木戸浦社長の目は、未来を見つめていました。

みらい造船

http://www.miraiships.co.jp/