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復興取材レポート

【宮城発!元気と食の最新情報】編集者が向き合った東日本大震災を振り返る(前編)

東日本大震災から10年の歳月が経過しました。

震災当時を振り返ると、私は、雑誌『Kappo 仙台闊歩』プロデューサーの川元茂さんの取材に同行して、気仙沼市、石巻市、東松島市、松島町を周る日々を過ごしていました。その後は、お互いの持ち場で、駆け足で震災からの9年間を走り抜けてきたので、これまでに、腰を据えて東日本大震災前後の月日を振り返る機会がありませんでした。だからこそ、本年度のブログで震災からの10年を振り返り、川元さんが震災の前後に思っていた事をお伺いして、そのアーカイブを残しておきたいと考えました。

東京オリンピックが開催され、被災地にも海外から多くの観光客が訪れる。令和2年度はそんな筋書きが期待されていましたが、新型コロナウイルスによる影響で、国境を越えた人の往来には制限がかかりました。

“想像もつかなかった世界を生きる”という経験を10年の間に2度も経験してきた私達。

今回の取材のために、川元さんは『Kappo』のバックナンバーを両手に抱えて登場してくれました。

 

損得ではなく、メディアとしての責務を果たすために発行を止めない

―まず川元さんにお伺いしたいのは、10年前、震災が起きる前後のことです。当時どのような仕事をされていたか、改めて教えていただけますか?

「震災前は『Kappo』の編集長を務めながら、WEB版の『せんだいタウン情報machico』の立ち上げを同時にやっていた頃ですね。震災直前の2011年2月5日に発行した『Kappo』が、ちょうど記念号となる50号でした。特集のタイトルは『食をクリエイトする、宮城の50人』。震災の起きる2か月前には、沿岸部を含めて、宮城県内の生産者や蔵人、料理人たちに会うために、取材で県内を走りまわっていたわけです。津波が起きた時に、真っ先に頭の中に浮かんだのは、つい先日出会ったばかりの取材先の皆さんの顔。一体どうしているのだろう?と。それで、まずは思いつく限りの人達の安否確認をし、行ける範囲でまた会いに行って、被害状況と今後の展望を伺っていました。

『せんだいタウン情報S-style』の4月号(3月25日発売)は休刊し、『Kappo』の5月号(4月5日発売)は発行延期し、ともに4月25日に発行するという意思決定が下されたのは、確か3月24日だったと思います。どんな状況でも発行を止めないというスタンスではありましたが、製紙工場は大打撃を受け、印刷用の紙はないし、輪転機も使えない。書店への流通も機能しない、取材するにもガソリンがないという状況でしたから、休刊はやむを得なかったと思います。社長以下、全スタッフが悔しがっていました。S-styleは校了直前でしたし、創刊以来初の発行中止でしたから。ただ、発行し続けることはアイデンティティでもあるし、メディアの責務でもあるわけですから、できるだけ早く再開しようと。そこには損得を超えた判断があったと思います。『S-style』は仙台市内のまちの元気と助け合いを伝える号に、『Kappo』はさきほどお話したように、沿岸部の方々に話を聞きに行く特集にしました。当時、被災地の惨状を見て回るなかで、言葉の無力さを感じていた面もあり、タイトルは『復興へ 50人の言葉』にしました。

4月に発行した『S-style』と『Kappo』は、部数を絞っての発行でしたが、おかげさまで完売しました。3月11日からの1か月間は、生き延びるのに精一杯で、日常なんてものはなかった。そんな中、地域の情報を伝える雑誌が、発売日に当たり前のように発行されることが、皆さんの日常の回復に繋がったのではと感じましたし、そんなコメントをたくさん頂戴しました。4月25日から29日のタイミングというのは、仙台市では地下鉄の通常運行がはじまり、プロスポーツの試合も再開され、まちに日常が回復してきた、気持ちが前に向きに変わった象徴的な時期だったと記憶しています」。

再開後のラジオ番組で、何を最初に話したらいいのか? どんな曲を選曲したら良いのか?を悩んだ

―当時、川元さんは、DATE FM&RADIO 3で放送されていた「Radio Kappo」のパーソナリティを務めていらっしゃいました。ラジオ番組や読者からの反響で印象に残っていることはありますか?

「東松島市で家を津波で流されてしまい、避難所に暮らす50代の女性の方からハガキが編集部に届きました。「おにぎりを買うのをやめて、『Kappo』51号を買いました」という内容で、掲載されている50人の言葉を読んで「自分も大変だったけれども、これから復興に向けて頑張っていこうという気持ちになれました」というお便りでした。51号を作る時に、どのように編集したら良いのか、もの凄く悩みましたが、このハガキを読んだ時に、悩みながらも作った甲斐があったし、発行した意味合いを強く感じることができました。

同じようにラジオでも、再開後に何を話したらいいのか、どんな曲を選曲したら良いのか、ものすごく悩みましたね。喉がカラカラになった。確か、放送の再開は4月2日で、収録は3月29日。まだまだ喪に服している時期だったし、被災地で聴いているリスナーもいるわけで、どんな言葉を発するべきか、とても緊張したことを覚えています。収録の数日前に、仙台フィルハーモニー管弦楽団の復興コンサートに足を運ぶ機会があって、その時に聞いた、サミュエル・バーバーの『弦楽のためのアダージョ』に感動して。鎮魂の気持ちを込めて、まずこの曲はかけようと。そして2曲目は前向きな気持ちになれる山下達郎さんの『希望という名の光』をかけました。そのオンエアを、福島の詩人・和合亮一さんの取材の帰り道に、1人で車の中で聴いたんですが、自分でも、この番組、いい番組だなと思って、感動していました(笑)」。

災害時のタウン誌の役割とは?

―(笑)。ラジオは報道の側面もありますが、雑誌は報道とは異なります。災害時のタウン誌の在り方について、何か感じたことはありますか?

「新聞社やテレビ局の報道と比べて、災害時にタウン誌ができることは何か、という問いは確かにありました。普段はまちのポジティブな情報を伝えているわけですから。被災地に足を運ぶにしても、報道ではありませんので、伝え方は変えたかったし、変えるべきだった。自分でも撮影していたので、被災地の惨状を写真に収めて掲載することもできましたが、51号に直接的な写真を載せることはしませんでした。ただ、4月に撮影した石巻市日和山公園の芽吹く梅の木や、夕暮れ時の名取大橋の写真を掲載し、当時の心情を綴ったコラムを書きました。加えて、制作に関わってくれていたライター、カメラマン、デザイナーたちの心情もコメントとして掲載して。今思えば、ヒロキくんにもこのページに何か書いてもらえば良かったかもね……」。

―たぶん、その当時の自分のスキルと経験値では、何も表現することができなかったと思います(笑)。

(後編へ続く)

川元茂 氏プロフ―ル

1967年生まれ。大学卒業後、東京で海外旅行雑誌の編集に携わる。その後、仙台へと戻り
株式会社プレスアートに入社。『Kappo 仙台闊歩』、『せんだいタウン情報S-style』などの編集長職を経て、現在は取締役編集局長。仙台、宮城、東北の食、宿、旅、歴史をテーマに情報発信を続けている。仙台短編文学賞実行委員会事務局長。タウン情報全国ネットワーク理事。

Kappo 仙台闊歩

https://kappo.machico.mu/

執筆者PROFILE
一般社団法人IKI ZEN 佐藤大樹