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復興取材レポート

【宮城発!元気と食の最新情報】編集者が向き合った東日本大震災を振り返る(後編)

この時期は、それぞれの被害状況に差があって、境遇も異なり、気持ちの面でもモザイク状に濃淡があったのではないか

「2011年から2013年までの時期を振り返ると、『Kappo』は“復興”をキーワードに取材を続けていました。ただ、商業誌であるがゆえに、復興に関する話題を特集記事で掲載したいという編集部側の想いがあっても、震災から2年が経過した仙台市中心部のマーケットには“復興”というテーマは大切だけど、“もっと明るくて楽しい情報が知りたい”“仙台の経済を回すことに重点を置きたい”という雰囲気もありました。それは日常が戻ってきた地域としては当然の流れであり理解もできます。自分としては、仙台都市圏の話題を中心に取材するのは『S-style』。『Kappo』は、宮城県全域の情報を掲載する雑誌であるからこそ、復興に関連する話題を積極的に取り上げるという明確な編集基準を持っていました」。

―川元さんのお住まいは塩竈市ですよね?

「自分の家系のルーツは石巻市にあり、震災時にも石巻市に親類が住んでいました。この時期は仙台市中心部の空気感と、沿岸部の被災地に漂い続けるムードとの温度差を感じていました。津波の被害がなかった仙台市中心部は、復旧の時期を経て、今度は経済の復興に向けて動いている。しかし自分が暮らしている塩竈市や沿岸部のまちでは、津波による被災の爪痕が残り、復興が思うように進んでいない。振り返ればこの時期は、それぞれの被害状況に差があって、境遇も異なり、気持ちの面でもモザイク状に濃淡があったのではないかと。津波による被災がなかった仙台の街中に暮らしていても、会話の流れで震災の話題になると、実は震災で親しい誰かを亡くしていたり、実家や親類の家が津波で流されていたりもする。本当は周囲に伝えたい様々な感情がありながらも、個人が感情を表面には出さず、日常生活を送っていた時期なのではないかとも思います」。

―過去の『Kappo』を見返して、震災前後で記事の内容が大きく変わったりしましたか?

「2002年の創刊号から、6年目までに発行した数十冊を読み直すと、食に関する記事では、料理をどう美しく撮影するか、店舗や施設の空間の美しさをどう表現するかなど、見た目にこだわっていた記事が多かったように思います。当時は自分もまだ30代半ばで、食文化について勉強中だったことや、その時期に読者が求めていたトレンドとも関係はあったと思います。ただ、『Kappo』という雑誌が“読者に伝えるべき本質は何か?”を編集長として考えた時に、この雑誌は“皿の上”にある情報を突き詰めるだけでなく、“人間”に興味を寄せて、人の持つ魅力や想いに焦点を当てた方が良いという確信に辿り着きました。その成果が、2011年2月に発行した50号の巻頭特集『食をクリエイトする宮城の50人』であり、2019年6月に発行した『街の誇りと魅力を生みだす 宮城の100人』という宮城県内の各地域に根差して活躍する人々が登場する100号記念特集の誕生へと繋がっていったわけです」。

―震災後、ローカルメディアの編集者として、改めて気がついたことはありますか?

「震災の時に取材を続けて改めて思ったことは、飲食店は消費者と生産者を結ぶ“最前線”であり、“出入口”であるということです。飲食店は、地域の1次産業、2次産業の事業者を応援する販路の出口という存在だけではなく、地元の人や観光客に“地域の食の魅力”を伝える重要な役割を担っています。そして食が伝える情報の裾野は広い。飲食店の情報を伝え続けることは、地域の魅力と積み重ねてきた食文化を発信することに繋がるのだと改めて感じていました。また、食文化に限らず、自分達の足元にある歴史や文化を見直す必要性を感じ、震災後の『Kappo』では、仙台藩の歴史や東北の寺社仏閣、文化や歴史に焦点を当てた特集記事も企画してきました」。

吐き出せなかった想いを短編文学として昇華する役割も担っている。

―文化といえば、川元さんは震災後に『仙台短編文学賞』を設立して、事務局長を務めていらっしゃいます。

「当初『仙台短編文学賞』は、在仙の作家や編集者を中心に企画準備を終え、いよいよ世間に発表するというタイミングで東日本大震災が起きてしまいました。奇しくも前日の2011年3月10日が最終打ち合わせの日だったんです。一旦保留にしたのですが、2016年に荒蝦夷(あらえみし)代表の土方正志さんや、作家の佐伯一麦さんらと共に、再び文学賞を実施していく体制を整えて、河北新報にも実行委員会に加わってもらい、2017年7月に記者発表を行い、やっと募集を開始することができました。いまは第4回の選考中で、2021年3月に大賞ならびに各賞を発表する予定です」。

―『仙台短編文学賞』には全国からジャンルを問わずに、幅広い作品の応募があると伺っております。審査はどのように行われているのでしょうか。

「選考過程については詳しくはお話できません。ただ、執筆者の年齢や性別、名前などの個人情報は開示せず、選考を進めています。各賞が決まった段階で初めて執筆者のプロフィールを知ることになるのですが、その後、受賞者に会って話を聞くと、実は東日本大震災で何らかの影響を受けた人であることなどが後から判明してきます。第1回目のプレスアート賞受賞者は岩手県陸前高田市出身の方でした。第2回目の東北学院大学賞を受賞した大学生は、仙台市在住というプロフィールだったのですが、会ってみたら、東松島市の野蒜の出身の方でした。同年代の友人達が語り部として活動していることを知って、自分が経験してきたことも伝えたいと、この文学賞に応募したそうです。仙台短編文学賞は、震災に特化した文学賞ではないのですが、吐き出せなかった想いを短編文学として記録し、時には昇華する役割も担っているのだなと気づかされました」。

―2019年3月に『Kappo特別編集 女川 復幸の教科書 復興8年の記録と女川の過去・現在・未来』を発売しています。震災後の復旧・復興・まちづくりを、市町村というくくりで1冊の本としてまとめる企画はどのように進んでいったのでしょうか。

「女川町の『梅丸新聞店』『復幸まちづくり女川合同会社』代表の阿部喜英さん(写真:左)に、女川を丸ごと一冊本にできないかと提案をし、民間視点での復興の物語を記録しようとプロジェクトがスタートしました。阿部さんは大学時代の後輩で、2011年4月8日に震災後初めて女川町に初めて足を運んだ際、被災した町内を案内してくれました。女川町立病院から見た惨状と、“それでもこの町と生きていく”という阿部さんの強い決意は、決して忘れることはできない光景と想いでした。だからこそ『Kappo』ブランドで、町の復興を記録し、伝えられたことがとても光栄でしたし、生まれ変わった女川町を広く全国に発信することができたとも思っています」。

東日本大震災から10年。世間では節目と言うけれど、
自分にとっては節目ではなく通過点。

―東日本大震災を迎える節目の10年が目前というタイミングで、世界的な新型コロナウイルス感染症の拡大期を迎えてしまいました。パンデミックを経験することになるとは思いもよりませんでしたが、良く考えれば“想像もつかなかった日常を生きる”という事態を、私達は東日本大震災の際に体験をしているのではないかと思います。川元さんは、このコロナ禍での生活様式の変化や社会構造の変容をどのように捉えていますか?

「この10年を俯瞰して見てみると、10年前と劇的に変わったのは、SNSを活用した個人の情報発信とゆるやかな繋がりではないでしょうか。当時はTwitterぐらいしか機能していませんでしたが、今ではFacebookやInstagramが当たり前。LINEもYoutubeもあります。個人がITを通じて直接繋がるという意味では、クラウドファンディングの誕生も重要なキーワードです。震災直後、『セキュリテ被災地応援ファンド』がすぐさま登場しましたが、個人がファンドを通じて、被災企業のファンとなり復興を応援し続けるという仕組みは新しかった。雑誌もクラウドファンディングと一緒で、読者というファンに購入してもらい、コミュニティを形成しビジネスを行っているわけですから、ファンを可視化し、コミュニケーションを図るという意味では、同じベクトルにあります。地域メディアとしては、ファンをベースにしたコミュニケーションを、雑誌に留まらず、webやラジオ、映像、イベントなどを通じて行っていく必要性を強く感じていて、そのベクトルはコロナ禍においてより強くなっています」。

「今回のコロナ禍で、ますます東日本大震災の記憶が薄れていくことになるのかもしれません。風化は避けられない面もありますが、私は荒蝦夷の土方さんから『被災地責任』という考え方を聞き、共感しました。阪神・淡路大震災の際に神戸大学の教授が提唱した考え方で、“被災地には、まだ被災していない地域の人たちに向けて、被災するとはどういうことなのか発信をする責任がある”というものです。いま県内各地には、復興支援をきっかけにたくさんの人たちが移住定住し、徐々に新しい文化が生まれてきていると感じています。ちょうど3月号は『宮城・岩手・福島 10年目の姿』と題した特集を組み、私自身、陸前高田や気仙沼、石巻、荒浜、山元などの震災遺構や飲食店、建設会社を回りました。東日本大震災からの10年というのは、世間から見た時には節目だけれど、自分にとっては節目ではなく単なる通過点です。これまで同様、次の10年も、地域が、人が、飲食店が、風景が、文化がどう変化するのか、雑誌として記録し、発信し続けたいと強く思っています。とはいえ、もう53歳です。あと10年やりきるエネルギーが果たして自分自身に残っているのか、いささか心配ですけど(笑)」。

 

川元茂 氏プロフ―ル
1967年生まれ。大学卒業後、東京で海外旅行雑誌の編集に携わる。その後、仙台へと戻り
株式会社プレスアートに入社。『Kappo 仙台闊歩』、『せんだいタウン情報S-style』などの編集長職を経て、現在は取締役編集局長。仙台、宮城、東北の食、宿、旅、歴史をテーマに情報発信を続けている。仙台短編文学賞実行委員会事務局長。タウン情報全国ネットワーク理事。

Kappo 仙台闊歩

https://kappo.machico.mu/

仙台短編文学賞

https://sendaitanpenbungak.wixsite.com/award

執筆者PROFILE
一般社団法人IKI ZEN 佐藤大樹