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宮城県
復興取材レポート

【女川 探訪】
忘れること、忘れないこと。未来に向けた 女川の選択。

>>「NOW IS.対談 in 女川 井ノ原 快彦さん × 株式会社髙政 高橋 正樹さん」はこちら

石碑の前で。左から伊藤さん、井ノ原さん、阿部さん。手に持っているのは、「女川1000年後のいのちを守る会」で制作した小学生向けの防災教材です。

悲惨な被害の象徴が
まちの復興を語る。

「女川を直接訪れたことはありませんでしたが、情報番組のキャスターをやっていた時、何回も中継で見て。すごく気持ちよさそうなまちだねって、出演者のみんなで言ってたんです。本当に気持ちがいい!海がこう、まっすぐ見えて」。

井ノ原さんは、女川駅前の商業施設、シーパルピア女川を歩きながら深呼吸。
「これは遊びに来たくなるなぁ」。

この日最初に訪れたのは、シーパルピア女川の目の前に整備された震災遺構「旧女川交番」です。女川では、津波によって鉄筋コンクリートの建物が土台から浮き上がり、横倒しになりました。
「旧女川交番」もその一つ。当時の中学生の声が契機になり、震災遺構としての保存が決まりました。

観光協会の持田さんと。旧女川交番の近くには、カラフルな遊具を備えた公園が完成する予定です。

「実際に見ると、なんだこれは、と思います…。こういう建物がこの辺りにたくさんあったなんて」。言葉を失う井ノ原さん。案内してくれた女川町観光協会会長の持田耕明(もちだ こうめい)さんは「あの津波の中でよく残ったなと思います。15m以上の津波でしたから」と振り返ります。

交番の周りには、震災前から今までの様子を振り返るパネルが展示されています。
「よくここまで復興したなぁ」と井ノ原さん。

持田さんは頷きます。
「こんなことがあったまちだから、おそろしいなという気持ちはあります。でも、まちの傍らに当時の姿のままの震災遺構があることで、こんな状況からここまで復興したという、象徴になるかなとも思うんです」。

遺構の周りに生える草を見て「自然は強いなぁ。どこでも生きようとする」とつぶやく井ノ原さん。

当時の中学生が伝える
逃げることの大切さ。

次に訪れたのは、竹浦(たけのうら)という小さな漁港。

その傍らの丘の上、海を見下ろす場所に「女川いのちの石碑」があります。
この石碑は、当時女川第一中学校に通っていた若者たちが結成した「女川1000年後のいのちを守る会」が建てたものです。

「この石碑は、女川に21カ所ある浜の、津波最高到達地点よりも高いところに建てています。この石碑を見て、逃げることの重要性を思い出してほしいという想いで、生徒たちが提案した企画なんです」。
そう話すのは、会のメンバーで、当時女川第一中学校で社会科の教師を務めていた阿部一彦(あべ かずひこ)さん。

石碑には「大きな地震がきたら、この石碑よりも上に逃げてください」と刻まれています。

「震災の年の社会科の授業で津波の対策を考えようというのをやって。その時に出たアイディアの一つが石碑の建立でした」。当時中学生だった伊藤唯(いとう ゆい)さんは、複雑な想いでこの授業に参加していました。

「まだ学校の外はがれきだらけで、景色が見えないようにカーテンを閉めて授業を受けていました。全員が大変な思いをしていたはずですが、それでも、この活動は続けたかった。建立にかかるお金は、募金箱を設置させてもらって集めました。みんなで手に汗をかき、緊張しながらお願いの電話をしたんです」。

井ノ原さんは「外からお金を集めるのって、本当に大変。すごいことですね」。「旧女川交番」の保存も、彼女らの働きかけで実現したという話を聞き「あの時みんなが動かなかったら、僕は今日この景色を見られなかったんだ」と感心した様子でした。

何気なく使っていた
言葉の意味を考える。

最後に、先述の株式会社髙政を訪れ、高橋正樹さんと対談した井ノ原さん。印象に残ったのが、高橋さんの「震災を忘れないで、という気持ちが分からないんですよ」という言葉だったそうです。

「高橋さんは、『つらいことは忘れちゃえばいいじゃん、僕たちは一日でも早く楽しいまちがつくれるように頑張ってきたんです』と言っていました。僕は、震災を扱う番組の最後に、いつも『忘れないようにしましょう』って言ってきました。何気なく言っていた言葉だけど、それがどういう意味を持つことなのか、考えないといけないなと。うまく言えないけど、きっと両方必要なんだろうなって」。

この日訪れた髙政女川本店「万石の里」は、震災前から建築が進み、震災のすぐ後に完成したそう。

「旧女川交番」も「女川いのちの石碑」も、震災を忘れないための取組です。津波の猛威を未来に伝えるため、防災意識を持つために重要な役割を担っています。

「今後、万が一津波が起きた時、交番や石碑があることで救われる命があるはず。そういうのは忘れちゃいけないことです。それに、震災から10年が経とうとしている今も、復興のために頑張っている人がいるっていうことも、忘れちゃいけないと思う。忘れないことが支援の動きにつながることもあります。でも、実際に来てみると、みんな明るくて、普通に旅行に来たくなるようなまちになりつつある。そういう楽しさは、つらいことを飲み込んで、忘れようとしたからこそ生まれたことなんですよね」。

井ノ原さんは、女川の風景を眺めながら、穏やかな笑顔でこう話しました。

「テレビを通じて被災地を見ると、どうしてもドラマチックなフィルターがかかる。でも、今日聞いた話は、特別な人生の話ではなかった。こういう未来にしたいなって、普通の人たちが頑張って試行錯誤して生きている。震災の経験を抱えながら、それでも楽しく生きていこうとする姿に、救われたような気持ちになりました」。

髙政のかまぼこは、魚の仕入れからすり身製造まで、女川産にこだわって作られています。

かまぼこを試食して、「おいしい!」と声を上げた井ノ原さん。おみやげを購入していました。

【ここに注目! NOW IS.EYE’S】

震災遺構「旧女川交番」は周辺の整備が完了し、2020年2月に除幕式が行われました。割れた窓、ちぎれた電話線。津波で横倒しにされた当時のままの姿を、すぐ近くで見学することができます。


井ノ原快彦(いのはら よしひこ)
1976年生まれ、東京都出身。V6のメンバーとして活躍するかたわら、ドラマ、映画、MC、情報番組のキャスターなど幅広い才能を発揮。番組での震災取材や、台風後の炊き出し支援など、被災地とも関わり続けている。愛称は「イノッチ」。