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宮城県
復興取材レポート

【いわたかれんの復興フォトVOL20】

皆さんこんにちは。岩田華怜です。
今回は、まだまだ寒さが続く石巻市へ行ってきました!

まず最初に伺ったのは、石巻からお茶と共に温もりの輪を広げるお茶屋、あさひ園さん。
今回はそのあさひ園の三代目である日野朱夏(ひのあやか)さんに、お話を聞くことができました。

東日本大震災当時、高校3年生だった朱夏さん。自宅は津波で全壊しました。当時既に短大に進学が決まっていましたが、大変そうな両親の姿を見て、卒業後はあさひ園を継ごうと決意した朱夏さん。

しかし、畑違いの会社を経験しないと継がせないと二代目の父に言われ、東京の短大卒業後、電気メーカーと出版会社の仕事を経験しました。そして、後の2017年に石巻へ戻り、念願叶ってあさひ園を継いだそうです。自分が知っている世界だけでなく、一般社会に出て一度就職し、お茶とは関係のない仕事を経験することによって視野を広げる。という朱夏さんのお父様の考えは、今の朱夏さんに大きな影響をもたらしてくれているそうです。電気メーカーの仕事も、出版会社の仕事も、今のお茶の仕事に活きているし、何より上司や会社仲間との繋がりが出来た事が大きかった、と話してくれました。

その頃、二代目であるお父様は、再建するなら、石巻のもので石巻を元気にしたい。また、震災前まで70代以上のお客様が多かったことから、若い方にも来てもらえるようにしたいと、新しい試みに挑戦します。

石巻の桃生町で生産している北限の茶葉を使用した和紅茶を開発し、2017年には東北初の和紅茶「kitaha(キタハ)」として、商品化されたのです。
「kitaha」が商品化されたその年に、三代目の朱夏さんが石巻に戻り、「kitaha」の営業をするようになりました。

和紅茶は、全て日本の茶葉で、日本で加工されています。朱夏さん一家は、家族で茶摘みをして、その茶葉を静岡まで、なんと車で運んでいるそうです。約200キロの茶葉を9時間かけて、お父様が運んでいるとか。それを何往復もするそうです。
茶葉はとても繊細なので、発送等が出来ないそうです。

“手間をかけるからこそ、美味しいお茶ができる”と、朱夏さんは言っていました。
そんな朱夏さん一家の努力が報われた出来事があります。なんと、あさひ園のお茶が、G20首脳会議の夕食会で使用されたらしいのです。すぐにお礼の連絡を入れた朱夏さんは、日本ソムリエ協会の田崎真也会長に、こんなことを言われました。

「震災とか、被災地とか関係なく、お茶の味、色、香りで選ばせて頂きました。」

この言葉が、何より嬉しかったそうです。
今までは、頑張ろう東北の文字を掲げ、復興に専念してきた宮城ですが、もう”被災地”のレッテルはいらない。忘れて欲しい訳じゃないけれど、今の目標は、いい意味で震災のイメージを払拭して、前に進むこと。そう話してくれました。

その後も、昨年12月には、kitahaを使用したフレーバー和紅茶「kitaha 纏(まとい)」が第6回新東北みやげコンテストで最優秀賞に入賞。纏は、朱夏さんが父に頼らずに自分で初めて手掛けた商品でした。この事をきっかけに、自分にも少しずつ自信がついてきたと、笑顔を見せてくれました。

あさひ園さんと、朱夏さんの今後の活躍がとても楽しみです。宮城に行かれた際には、是非あさひ園さんの和紅茶を飲んできてください^ ^

美味しいお茶で一息ついた後は、こちらに行ってきました!

青い海と青い空をバックに、ドーン!と立ちはだかるのは、400年前、遙かローマを目指した慶長遣欧使節一行を乗せて太平洋を渡った「サン・ファン・バウティスタ号」復元船。
凄く大きくて立派なのですが、実は東日本大震災の津波で傷ついてしまいました。それから色々な方の支援を受けて復活。

ですが、木造船のため、老朽化により、来年には解体されてしまうそうです。サン・ファン・バウティスタ号が見られるのは、2020年度まで!来年3月までしか見られないので、是非目に焼き付けてほしいです。
私も、ありがとうとお疲れ様でしたの気持ちを込めて、しっかりとその勇姿を心に刻んできました。

いつ見ても、東北の海は綺麗で穏やかです。
あの日から、9年。もう二度と同じことが起こりませんように。
海にそびえ立つサン・ファン号の後ろ姿が、とてもかっこよく見えました。

 

岩田華怜
仙台市出身の女優。