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河北新報による復興に関する記事

東日本大震災/無力の防潮堤、住民「地獄よ」/岩沼・玉浦

※下記記事は2011年3月15日に河北新報朝刊に掲載された記事です。掲載している数値などについては、現在の数値は異なる可能性があります。

 大津波で壊滅的な被害を受けた岩沼市東部の玉浦地区に14日、入った。開通した道をたどって津波後初めて海岸線に足を踏み入れると、防潮堤は破壊され、コンクリート護岸が約50メートル陸側に流されていた。
 津波から住民を守る人工構築物は巨大津波という自然の威力に対して無力だった。岩沼市など2市2町のごみ処理を担当する組合事務所は堅固な2階の窓ガラスがめちゃくちゃに割れていた。
一時は孤立した玉浦地区。がれきや日用品が交じった土砂、つぶれた家々が広がる。海沿いの二の倉集落から自衛隊員や地元の消防団員が遺体を運び出していた。
 「地獄よ」。津波に流され、木にしがみついて救助された農業小林喜美雄さん(63)は肩を落とす。
 同地区の玉浦中には約600人が避難した。11日は海水が地上約60センチに達し、2階以上の教室に上がってしのいだ。夜、届いた食料はわずか。「1個のおにぎりを5人、1本の飲み物を10人で分け合った」と農業菊池正志さん(53)は話した。(小島直広、岡田浩平)

津波で引きちぎられた防潮堤の護岸コンクリート(手前)=14日午後3時45分ごろ、岩沼市の二の倉海岸

津波で引きちぎられた防潮堤の護岸コンクリート(手前)=14日午後3時45分ごろ、岩沼市の二の倉海岸

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