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河北新報による復興に関する記事

東日本大震災/暴れる波、日常無残/家々跡形もなく/宮城・南三陸町志津川

※下記記事は2011年3月13日に河北新報朝刊に掲載された記事です。掲載している数値などについては、現在の数値は異なる可能性があります。

 朝日を浴びたがれきの山に目を疑った。登米市と宮城県南三陸町を結ぶ国道398号から12日午前7時、津波で壊滅的な被害を受けた同町志津川の小森地区に入った。
 志津川湾は南東に約2キロの距離。山間に住宅が点在するのどかな地区のはずだった。
 家々を支えていた建材はバラバラに折り重なり、トラックや泥だらけのトラクター、大破した漁船が縦横に打ち上げられている。
 旧志津川町の中心部にあった美容院の三角屋根はここまで1キロ以上、運ばれてきた。地元建設会社の資材置き場も柱ごと数百メートル押し流された。
 南三陸町の建設業西城孝一さん(57)は、小森に住む親戚の安否確認に訪れた。「家は跡形もなかった。もう駄目だ」
中心部に着いて、避難所から自宅の様子を見に行く人が少ないことに気付いた。難を逃れた人々は前日、避難した高台で元の場所には何一つ残っていないことを見届けてしまったからだろうか。
 志津川の防災計画はチリ地震津波(1960年)を基準に組み立てられていた。旧町役場は崩壊し、災害時に「司令塔」となるはずの総合防災庁舎は赤い鉄骨だけになった。町職員らによると、佐藤仁町長の安否が不明になっている。
屋上に避難した患者らの一部が12日、ヘリコプターで救出された公立志津川病院(5階建て)も「本来は4階部分に患者を避難させるマニュアルだった」(医療スタッフ)という。
 ヘリで救出されたのは人工透析が必要だったり、病状が重かったりした人たち。自力で動ける患者は、看護師らに付き添われ、徒歩で避難所や高齢者施設に移動した。
 「まったく動けない患者さんたちは、流されてしまった」(同)。想定を超えた津波の威力がもたらした惨事だ。
 町職員西城彰さん(59)は津波で父を亡くした。「遺体があるだけでも、まだいい方だ」。声を詰まらせた。(斎藤秀之、柏葉竜)

津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町志津川の中心部。人、物の動きはない=12日午前11時20分ごろ

津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町志津川の中心部。人、物の動きはない=12日午前11時20分ごろ

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