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河北新報による復興に関する記事

東日本大震災/石巻一変/街の顔浸水、市民ぼうぜん

下記記事は2011年3月14日に河北新報朝刊に掲載された記事です。掲載している数値などについては、現在の数値は異なる可能性があります。

東日本大震災の発生から3日目の13日、大津波に襲われた沿岸の拠点都市、石巻市の中心市街地に入った。壊滅状態の街並み、道路を寸断するがれきの山…。街を覆った黒々とした水はようやく引きつつあったが、すっかり変貌した街のあちこちで、市民がぼうぜんと立ちすくんでいた。
路上には大破した車があちこちに転がる。100メートル以上運ばれたとみられる車もあった。旧北上川の岸辺には何隻もの船が乗り上げていた。
JR石巻駅前の商店街や周辺の住宅は水浸し。発生直後よりは水かさが減ったが、場所によっては深さが依然、1メートルを超す。店舗の奧まで水に漬かっている。繁華街の面影は全く見えない。
陸上自衛隊などによる懸命の救出作業も続いている。ヘリコプターが空をひっきりなしに飛び回り、身動きが取れず孤立した人々を次々と搬送する。
市庁舎の周りも深い水に漬かった。閉じこめられた大勢の市民は互いに協力し、庁舎から水のない場所まで歩けるよう、机やビールケースで急ごしらえの橋をつくった。
一部地域で電気が復旧した以外、ライフラインは機能していない。通信網も完全にダウンし、家族や知人と連絡が取れない人も多い。「無事ですか」「連絡ください」。各地の避難所には伝言板が設けられ、多くの市民が切実なメッセージを書き込んでいた。
避難生活を送る人々は数万人に及ぶとみられる。石巻専修大の教室に避難した市内の自営業斎藤徳芳さん(63)は「地震発生以降、ほとんど何も食べていない。大人は我慢できても、一緒にいる孫たちを思うとつらい」と、顔に疲労の色を浮かべていた。
(成田浩二、水野良将、野内貴史)

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道を覆った津波による泥やがれきを避けながら歩く市民=13日午後4時10分ごろ、石巻市八幡町

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