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河北新報による復興に関する記事

東日本大震災/多賀城で津波に/本社関連・鈴木社員/浮く車体、衝突何度も入り込む水、間一髪で

※下記記事は2011年3月16日に河北新報朝刊に掲載された記事です。掲載している数値などについては、現在の数値は異なる可能性があります。

迫る濁流、骨までしみる寒さ…。河北新報メディアセンターの鈴木光広さん(53)は東日本大震災が発生した11日、多賀城市八幡を乗用車で走行中、大津波に襲われた。のみ込まれそうになった車から、命からがら脱出した。「もう、駄目かと思った」。恐怖の瞬間がよみがえる。

仙台市若林区六丁の目の産業道路で激震に襲われた。「大津波警報が出ました」。ラジオが伝える。自宅の電話はつながらない。もどかしい思いで多賀城市留ケ谷の自宅に向かった。
渋滞で車が進まない。発生50分後。「津波だー」「逃げろーっ」。道路沿いのトラック倉庫から叫び声が聞こえた。
脇道にハンドルを切る。バックミラー越しに水煙が見えた途端、強い衝撃を受けた。ブレーキを踏んだが全く利かない。
車体が浮いた。周りを見ると車が何台も流されている。激流を木の葉のように漂い、何度も衝突を繰り返した。
ワゴン車が迫ってきた。両目をつぶった。「グシャッ」。目を開くと、フロントガラス全体にひびが入っていた。
「車から出ないと危ない」と感じ、運転席の窓を一気に降ろした。海水が入り込むのと同時に車外へ。必死で近くのくいにしがみつき、よじ登った。津波は高さ1.8メートルほど。車は沈んだ。
吹雪が舞い始めた。体が凍える。30センチ四方のくいの上で1時間半、そばの木の枝を握りながら水が引くのを待った。
「寒いからこっちに来なさい」。声の方を振り向くと、4メートルほど離れた住宅の2階で男性が叫んでいた。
脇の下ほどあった泥水をかき分け、1階の窓にたどり着いた。男性が着替えと毛布を貸してくれ、一晩を過ごした。
翌朝。水が引いた街を歩いて自宅に帰った。玄関を開けると妻と母、次男が駆け寄った。涙ぐむ妻。「助かった」。命を取り留めた実感が湧いた。

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多賀城市内の幹線道路は、津波で流された大型トラックや乗用車が折り重なった=14日正午すぎ

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