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河北新報による復興に関する記事

「全部なくなった」/胸まで水、死を覚悟/悪夢の夜 温かさ知る

※下記記事は2011年3月13日に河北新報朝刊に掲載された記事です。掲載している数値などについては、現在の数値は異なる可能性があります。

白々と悪夢の夜は明けた。湾内の空を赤々と染めた火柱は消えていたが、太陽の下にその悪夢の景色はやはりあった。
一つの街の区画がそっくり焼け焦げていた。それがかつて何であったか不明のがれきの山が、車道をふさいでいた。乗用車や保冷車は好き放題に転がり、土砂に埋もれ、川に突っ込んでいた。
美しい景色と水産のまち・気仙沼市は、今まで誰も見たことのない、形容しがたい無惨な姿をさらしていた。
その景色を見ることができたのは、むしろ幸運だったのかもしれない。
震災当日の11日、襲い来る津波に胸までつかり、死にかけた。気仙沼総局に避難してきた人たちに食料をとコンビニに走ったのが失敗だった。
水は白い波頭を見せ、道沿いにひたひたと迫ってきた。近くのビルの2階ベランダに駆け上がったが、勢いは一向に衰えない。あっという間、5、6メートル流された。フェンスによじ登り、柱にしがみついた。水かさは増す。死を覚悟した。
次の瞬間、濁流はすさまじい音を立て、ビルのシャッターを突き破り、建物の中になだれ込んだ。一気に水位が下がった。驚いて出てきた家の人が3階の自室に招き入れてくれた。ぬれた服の着替えを借り、食事までごちそうになった。人の情の温かさを今更ながら知った。
「支え合い」。現実感の乏しい地獄絵図の世界で頼れるのは、そこに確かにいる身近な人だけだ。12日、市の避難所に出向くと、行方不明者の安否を気遣うメモが壁いっぱいに貼られていた。
「待ってて、生きてる!」「これを見たらすぐ来て」。1枚1枚を見ていると、涙がこみ上げる。
余震と火災がやまないけれど、悪夢の日ではない、長い復興の道に踏み出した最初の日なのだろう。(菊池道治)

 

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津波で押し流されたJR気仙沼線の車両と崩壊家屋の残骸=12日午前5時40分ごろ、気仙沼市岩月付近

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