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復興取材レポート

未来の道しるべになった 青い鯉のぼりの輪。青い鯉のぼりプロジェクト 伊藤 健人さん

2018年の様子。子どもたちがつくった、手づくりの鯉のぼりも送られてくる。

東松島市大曲浜。
復興工事のトラックが行き交い、茶色の土煙があがるこの地区には、毎年4月半ばになると全国から寄せられたたくさんの青い鯉のぼりが掲げられます。「青い鯉のぼりプロジェクト」。

「津波で命を失った家族4人に想いが届くように、生き残った自分の道しるべになるように」と、震災当時高校生だった伊藤健人さんが始めました。

2011年は約220匹からスタートし、8年目の2018年には約1800匹に。支援の輪はまだまだ広がっています。

伊藤さんは、今年支援者から寄せられた一通の手紙が心に残っていると言います。
「私は家族を交通事故で失いました。この青い鯉のぼりが、私の家族にも届きますように。がんばってくれて、ありがとう」。

支援が広がる一方、心にとまどいも。

「青い鯉のぼりプロジェクトは、震災後、泥だらけになってがれきに埋まっていたうちの青の鯉のぼりを、当時5歳だった弟のために揚げたのが始まりです。津波でいなくなった家族のために、という個人的な想いで始めたプロジェクトが、こんなにも強く人の心に残るプロジェクトになった。震災の枠を越えて広がっているんだということに心を打たれました。支援の輪が広がるのは、とてもうれしいです。でも、それと同時に、自分の心のキャパシティが追い付いていないようにも感じました」。

“青い鯉のぼりプロジェクト”は、今や東松島市の復興の象徴になっています。
テレビや新聞の取材も多数入り、2018年の子どもの日に約1,000人が見学に訪れました。

東松島市の震災復興伝承館には、ロックバンドGLAYが寄贈してくれた青い鯉のぼりが飾られている。

震災直後、“今の自分がやれることを”と始めたときと比べて、共同代表を務める伊藤さんの業務も多岐に及ぶようになりました。

「イベントの企画や段取り、なにかあったときに避難してもらうための誘導路の確保など、ここ数年、やらなきゃいけないことがすごく増えました。この先どうやって進めていけばいいんだろうと、ちょっとフラッとしてしまったんですよね」。

自分のためが誰かのために。 支えられながら前に。

そんな伊藤さんを支えてくれるのは、共同代表の千葉秀さんだと言います。

千葉さんは和楽器を中心に音楽制作を行うプロデューサー。
当時、憧れの和太鼓チームのプロデューサーだった千葉さん宛に「一緒に追悼コンサートで演奏してほしい」とメールしたのが出会いでした。
年齢は30近く離れていますが、8年間伊藤さんとプロジェクトを盛り上げています。

「開催当日の5月5日も、ぼくが想いを馳せる時間をつくれるようにと気を使ってくれます。『会場に来た人の想いを汲み取りながら、自分の気持ちを発信すればいいと思う。互いに今できることをしていこう』って。迷っていたぼくに『健人は、代表としてみんなを引っ張っていくのも必要だけど、ひとりの家族として、みんなと一緒に進む列の中にいるという気持ちも大切』と言ってくれて、ハッとしたんです。自分のためにやっているプロジェクトであっても、それが誰かの希望になって、影響を与えていくんだなって」。

5月5日の当日には、和太鼓の演奏も行われる。

回数を重ねるにつれて、東松島市に住んでいた人が来てくれるようになっているのも、うれしいと伊藤さん。
「鎮魂の意味合いが強かったプロジェクトですが、未来に向かう意味合いが増えてきたように思います」。

目標は、100年後も続く取り組みにすること。
「東松島市にずっと前からあったプロジェクトみたいになるといいですね。原点を忘れず、地に足をつけて続けていきたいと思います」。


青い鯉のぼりプロジェクト 共同代表
伊藤 健人さん

石巻市出身。幼稚園の時、東松島市に移り住む。大学を卒業後、東松島市の任期付き職員を経て、正職員に。現在は税務課に勤務する。子どものころから和太鼓を演奏し、和太鼓ユニット「閾(いき)」などで演奏活動を行っている。