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宮城県
復興取材レポート

最後のひとりが仮設住宅を出るまで続けたい。石巻復興きずな新聞舎 岩元 暁子さん

住民の声に耳を傾ける岩元さん。

JR石巻駅近くの築50年になる木造2階の一軒家。

ここで毎月発行しているのが「石巻復興きずな新聞」。その編集長を務めるのが、岩元暁子さんです。

「石巻復興きずな新聞」は、東日本大震災で被災した石巻市の仮設住宅に、地域の情報を届けていた「石巻仮設きずな新聞」の後継紙。2016年に終刊したあと、岩元さんが「石巻復興きずな新聞舎」を立ち上げ、復刊しました。

岩元さんは横浜市出身。ボランティアとして石巻にやってきて活動を続ける中、「仮設きずな新聞」の担当にならないかと声をかけられました。

「正直、とても嫌だったんです。それまで工場支援をしていて、石巻の人たちに向き合い、寄り添いながら活動してきたのに、毎日パソコンに向き合うの?って…。それが天職になるとは思いもしませんでした」と笑顔で話します。

一軒一軒手渡し、見回りや心のケアも兼ねる

「仮設住宅に住む人たちの顔を思い浮かべながら記事を書いています。これはあの人が好きだろうなとか。新聞というよりは『手紙』ですね」。

そう話す岩元さんが初めて石巻市を訪れたのは、2011年4月23日。一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター(以下PBV)のボランティアとしてでした。1週間だけのつもりが、ボランティアリーダーとして老舗かまぼこ工場の支援をするまでになります。

2011年10月、PBVでは「仮設きずな新聞」を創刊。当時は、仮設住宅の暮らしの手引など自治体の情報を転載し、仮設住宅での見守り活動の際に、手渡しで配られていました。

岩元さんは、その年の12月から新聞に携わり、2012年4月にPBVの職員に。そして7月には編集長となり、新しい企画を次々と考案します。

仮設住宅に閉じこもりがちな住民が、外に出るきっかけになればと、趣味のサークルを紹介したり、医療や心のケアなど専門の職業の方に記事を書いてもらったり。住民の方からの声がきっかけでスタートした「石巻ガチ市民」という企画もあるそうです。

「応援してくれる人たちがいるから続けられた」と岩元さんは言います。

市内全仮設住宅と市街地の復興住宅に無料で配布しています。

しかし、仮設住宅から災害公営住宅などへ転居が進み、PBVが石巻での活動を2016年3月で終了するとともに、「仮設きずな新聞」の終刊も決まりました。

続けてほしいという住民の声、制作・運営にやりがいを感じていたスタッフや地域のボランティアからも「まだ続けたい」との声が。

「仮設で暮らしている人たちは、まだたくさんいます。情報を得る手段がない方も多く、新聞へのニーズは高いんです。現在・過去を伝えながら、未来を見据えていけるような新聞にできたら」。

岩元さんはPBVを辞め、クラウドファンディングで資金を募り4月に「石巻復興きずな新聞舎」を立ち上げました。その際、4年前に結婚した岩元さんの夫も背中を押してくれたそうです。

「主人と一緒に新聞を配りに行ったときに、『あきちゃんこれおいしいから持っていって!』『お茶飲んでいって』と声をかけてくれるのを見て、うちの妻はこんなに必要とされているんだ(笑)無理のない形で続けたらって」。
岩元さんは、夫の住む東京と石巻を往復しながら活動を続けています。

発行は月1回、6000部。

石巻復興きずな新聞舎の活動は、新聞を通した訪問や見守り活動以外にも、地元ボランティア育成による地域の支え合いの仕組みづくり、県外ボランティアの受け入れによる震災の風化防止など多岐にわたります。

「石巻は人と人とのつながりが感じられる場所。『新聞』とのつながりを通して、つらいと思う人たちが生きていてよかったと思える日が来るといいなと思っています」。

石巻復興きずな新聞舎 代表兼編集長
岩元 暁子さん

横浜市出身。大学を卒業後、米系IT企業に就職。ボランティア休暇制度でボランティアを体験し「自分の能力を活かし、人の役に立ちたい」と退職し、海外青年協力隊を目指し準備をしている際に東日本大震災が発生。PBVのボランティアとして石巻に。