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復興取材レポート

前例も常識も気にしない。 人の命がかかった展示だから。リアス・アーク美術館 山内 宏泰さん

いわゆる「ガレキ」のことを「被災物」と呼んでいる。被災物の展示は、津波の威力を示すものと、日常を伝えるものに分けられる。

「まず、あの時何が起こったか、多くの人は知らないと思っています。知らないことは忘れられないし、風化もしない。今必要なことは、あの時なにが起きたのか、なんでこんなことになってしまったのか、知ることなんです」。

リアス・アーク美術館では、2013年4月から、学芸員が収集した記録写真203点と収集した被災物155点などを展示した「東日本大震災の記録と津波の災害史」を常設しています。
津波で泥をかぶった日用品、燃えてゆがんだ車。隣には、調査活動中に得た情報や気持ちを記した説明文が添えられています。

「学芸員が自分たちで収集したものを展示する常設展は、前例がありません。説明文も、客観的記録を大切にする博物館のセオリーからしたら、あり得ない。でも、その場で起きたことはその場の言葉でしか語れない。これは、人の命を守るための展示です。とにかく一刻も早く資料を集めて公開しないといけない。その使命感で貫き通しました」。

想いや物語を取り入れ 心を直接揺さぶる展示に。

リアス・アーク美術館は1994年の開館。
山内さんは開館当初から、気仙沼や東北をテーマにした展示を企画してきました。
「コレクションが少なかったので、歴史民俗系の展示で個性を磨こうと考えました。美術はなにもないところからは生まれません。郷土を知ることで、ここで育まれる文化や芸術を浮き彫りにしようと」。

郷土資料を収集するうちに、早い段階で気仙沼エリアの文化形成に津波が大きく影響していることに気づきます。
「ここは津波の常襲地域。本吉地区や唐桑地区には、とんでもない津波被害の記録が残っているんです」。

30年以内に宮城県沖地震が起きる、しかも被害が拡大する「連動型」の地震が起きる、という研究結果にも触れ、2006年には明治時代の明治三陸大津波をテーマにした企画展を行いました。

「自分としては、明治三陸大津波と同等かそれ以上の災害が明日にでも起きうる、という警鐘のつもりでした。でも、この展示にさっぱり人が入らなかった。納得できませんでしたね」。

東日本大震災のあと、あちこちで「千年に一度」「未曾有の災害」という言葉が聞かれるようになりました。
それは違う、と山内さんは強く否定します。

「東日本大震災の前、幸いにも50年近く大きな津波が来ていなかっただけ。『ここには津波は来ない』という迷信や思い込みが、今回の被害を拡大させてしまった。だから、この展示を見に来る方には、私は責任を持って『未曾有は嘘です』と言うようにしています」。

山内さんは震災のあと、3月16日から現場に入り、調査・収集活動を始めました。
自身も自宅を流され、美術館で寝泊まりする身。

「11日の夜、燃える気仙沼を見て、もう美術館の再開はないな、と思いました。でも、これはプロとして記録をとらなくてはならない。その想いで平常心を保っていたのでしょうね」。

気仙沼では、破壊された街がどこまでも続いていました。家だったもの、クルマだったもの、台所用品やぬいぐるみ。そのスケール感、想いを伝えようと撮影した写真は、約3万点、収集した被災物は約250点に及びました。

泥にまみれたぬいぐるみに添えられた、語り掛けるような説明文。

その結晶が、現在の常設展です。撮影した写真には、その写真を撮影した時に感じたことや考えたことを記し、被災物には、そのものをテーマにした「物語」を書き添えています。

写真に添えられた想いが、生々しく当時の様子を伝えてくれる。

「展示物の説明文に、創作した文章を添えるのは、前例がない取り組みです。だけど、被災した日用品を収集しているときに、そのものが自分になにか語り掛けているような気がしました。人の心を直接揺さぶる展示にしないといけない。思い込みや経済活動を過度に優先した結果、何が起きたのか。しかもこの災害は再び起きる。それを次の世代に知らしめるための展示だと、考えています」。


リアス・アーク美術館
山内 宏泰さん

宮城県石巻市生まれ。1994年よりリアス・アーク美術館学芸員。一年に約10回の企画展などを行うかたわら、東日本大震災後は、気仙沼市東日本大震災伝承検討会議委員などを務める。