みやぎ復興情報ポータルサイト
宮城県
復興取材レポート

不安も困難も、団結力で突破した。カーネーション農家 太田 伸也さん

「地区民運動会なんか、もう、最高に強い。自分が小さいときから、小塚原っていったら、団結してるって有名だったんだから。近所の人は、親兄弟みたいに助けてくれるし。不安がなかったと言ったらウソだけど、大丈夫かな、と思ったんですよ」。

名取市小塚原地区でカーネーション農家を営む太田伸也さんは、震災が起きる1か月前、家業を継ぐ決心をしました。当時勤めていた会社に退職する旨を伝え、引き継ぎを始めようとしていた時に被災。ハウスは全て海水に浸かりました。

落ち着くまでは、と会社務めは続けたものの、被災後2年を待たず専業農家に。不安はありませんでしたか、という問いかけに返ってきたのが、冒頭の言葉でした。

「何もないとき」の絆が震災を乗り越える力に
名取市は、東北一のカーネーションの産地として知られています。市内のカーネーション農家は20軒。そのうち、8軒が小塚原地区にあります。

「うちの地区は、みんなでやろうって気持ちが強いんです。震災前から、盆踊りだ、草刈りだ、消防団だ、と集まってたし、今も毎月カーネーション農家で集まって飲み会しているし。自分が農家を継いだ時、すでに父が他界していて、家に教えてくれる人がいなかったんですが、頼りになる先輩方がそばにいるから、安心なんですよね。みんな個人経営なのに、隠し事なしで、アドバイスしあっています」。

育ち始めた苗を管理する太田さん。

太田さんの家のカーネーション用ハウスは、震災前1000坪ありました。津波で破損しすべてが使えなくなりましたが、元の場所で再建し、現在は800坪まで回復。

昨シーズンの出荷量は30万本にもなりました。「花き生産組合に加入していたおかげで、500坪のハウスと資材を援助していただきました。塩害でダメになった土は、自費で入れ替えたけど、それでもかなり助かりました」。

助成金などのアドバイスも役に立ったといいます。「何もないときは、会合だなんだって大変だな、と思うときもありますが、組合の力はすごい。こういうとき、みんなで助け合う仕組みが活きますよね」。

カーネーションは数千の品種があるといわれています。太田さんもさまざまな品種にトライしています。(平成29年春撮影)

名取産カーネーションをたくさんの人の手へ
近年、農家の後継者不足が課題になっていますが、小塚原地区では4軒に若手の後継者がいます。

「なぜ継いだのか聞いたことはないですけど、地元の人と一緒にやれると思うと、継いでもいいかなと思えるんだと思いますよ。それに、頑張った分だけ、工夫した分だけ、自分の収入につながるので、やりがいがあるんだと思います」。

カーネーションの最盛期は、3月から5月。子どものころから家族総出で収穫していたといいます。「父は、カーネーションはいいぞ、やりがいがあるぞっていつも言っていたんですが、学生のときは大変そうなイメージしかなかった。でも、会社を辞めて、一から花を育てるようになって、父の言葉通りだな、と思っています」。

摘み取りを待つばかりの白いカーネーション。(平成29年春撮影)

これからは、名取市のカーネーションを全国に広める活動もしていきたいと太田さんは言います。

「寒暖の差がなく、浜風が吹いて涼しいこの場所は、カーネーションに最適な場所です。市場に卸すだけでなく、買ってくれる人と直接触れ合える場所にどんどん顔を出して、いろんな話を聞きたい。消費者が買いたいと思えるカーネーションを、作っていきたいと思います」。

カーネーション農家 太田 伸也(おおたしんや)さん

1979年名取市生まれ。学校卒業後は10年以上自動車部品の工場などでサラリーマンとして働いていたが、祖父の代から続くカーネーション農家を継ぐ。