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宮城県
復興取材レポート

やさしい歌声の源、あたたかな港町。熊谷育美さんと故郷・気仙沼を歩く。

被災地に足を運んで「今」を見てほしい

「私にとっての気仙沼は、陶芸家にとっての窯みたいなもの。ここで曲を作るのが当たり前なんです」。

熊谷育美さんは、生まれも育ちも気仙沼市。シンガーソングライターとして活動する今も、この地に住み続けています。
「気仙沼のいいところ?やっぱり人の良さかな。頑張れよって言ってくれる、地元の人たちに育ててもらいました」。
この日最初に訪れたのは、唐桑地区にある「津波体験館」。東日本大震災の映像を見ながら音や振動で津波の恐ろしさを体験できるほか、当時の写真パネルなどを展示しています。

案内してくれたスタッフの「熊谷」さんも、熊谷育美さんの知り合い。震災前の写真を見て「この建物懐かしい」と話し合っていました。

熊谷さんは地震が起きたとき、気仙沼港のすぐそばで番組のロケ中でした。パネルを見ながら、ここ、と指をさします。

「山沿いにある自宅に帰って、数分後に津波が来ました。さっきまでいたところが、あっという間に海の底になって。ああいう時って感情が生まれないんですよ。悲しいとか辛いとか何もなく、ただ、ああ…って」。
震災の5日後、仕事の都合で上京したものの、すぐに気仙沼に戻ります。

「とにかくみんなと一緒にいたくて。ボランティアで泥かきしてたんです。そしたら、地元のおじさんに『おめ、何やってんだ、こんなとこで!』ってすごく怒られて。お前はお前のできることが他にあるだろう!被災地のことを伝えてこい!って」。

ハッとした熊谷さんは、「呼ばれたところにはどこにでも」をモットーに各地に足を運ぶようになりました。「とにかくがむしゃらに伝えようって。今もその気持ちは変わりません」。

 

気仙沼のこれからを一緒に歩んでくれたら

知人や友人が気仙沼に来た時、熊谷さんが案内する場所があります。気仙沼の市街地から離島・大島までを一望する「安波山」です。

「7年たってようやく、震災後のことを振り返られるようになりました。 その時書いた曲を聞くと、当時の気持ちを思い出します」。

「山が海を抱いているようなリアス式海岸のこの海。いいでしょう?一度来れば、きっとみんな好きになってくれる。こんなに復興したんだな、まだこんな状況なんだな、というのを見て、これからの道のりを一緒に歩みたいという気持ちになってくれたら。魚はおいしいし、漁師さんはかっこいいし、本当にいいところだから」。

安波山の展望台にて 「新緑や紅葉の季節もまた、美しいんですよ」。

最後に訪れたのはFish Market 。個人で小船を操り近海で漁をする「小漁」の漁師さんが水揚げした魚を集荷し、販売するサポートをしている団体です。集荷した魚は飲食店などに出荷されます。

「MAST HANP」ショップにて 熊谷さんのお気に入りで、この日のバックもこの店の製品。気仙沼出身のオーナーが作る帆布製品が並びます。

代表の福田佳代子さんの「浜のお父さんたちって、海にいるとすごくイキイキしてるんです。そういう方のお手伝いができたら」という言葉に深くうなずく熊谷さん。

「一泊して、お父さんたちの魚食べて、地酒飲んで、楽しんでほしい。私の歌のふるさとに、会いに来てください」。(文責・沼田佐和子)

熊谷 育美
1985年、宮城県気仙沼市出身。中学時代から曲を書き始め、シンガーソングライターとして活動するほか、ラジオDJ、みなと気仙沼大使としても活動。2011年4月に発表した「雲の遥か」は震災の前日に完成。気仙沼への思いを歌ったこの曲は、人々を元気づけた。