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宮城県
復興取材レポート

これからも、女川の海とともに。ハイブリッジ 髙橋 正祥さん

行方不明者捜索時の写真。海中には船の瓦礫が残っている。

豊饒の海として、いにしえの時より、多くの人たちを惹きつけてきた女川の海。
震災では甚大な被害を受けましたが、ここ数年の間に駅前も整備され、観光客も多く訪れるようになりました。

そんな駅前施設のひとつである「シーパルピア女川」で、ダイビングショップ「ハイブリッジ」を営むのが、髙橋正祥さんです。

仙台市出身で、大学卒業後にダイビングの世界に魅了され、世界中の海に潜り、その海に人々を案内することを仕事としてきた髙橋さん。
震災当時は神奈川県にいたという髙橋さんが、今、女川でダイビングショップを経営するということについて、お話を伺いました。

次の世代へ、海のすばらしさ、豊かさを伝えていきたい

女川駅前の商業施設「シーパルピア女川」でダイビングショップ「ハイブリッジ」を経営する髙橋正祥さん。
生まれも育ちも仙台で、大学卒業後、1年会社員として働き、ワーキングホリデーでオーストラリアに滞在しました。
「ありきたりですけれど、そこで体験したダイビングにハマってしまったんです」。

こうして、オーストラリア、グアム、サイパンなどのダイビングショップで働き、28歳のときに帰国。帰国後は、神奈川県葉山町のダイビングショップに勤めます。

充実した毎日を送っていた髙橋さんの日常が大きく変わったのが、あの東日本大震災でした。
自身の実家は仙台、父の実家は石巻、母の実家は南相馬と、発災直後から家族の安否を心配して、「不安で眠れませんでした」と話します。

震災から4日後の3月15日、山形経由で仙台に帰ってきた髙橋さんは、父とともに石巻へ物資を運びつつ、親戚の安否確認を行いました。

津波の被害はあったものの、幸いなことに親戚は皆無事でした。

「最初は、親戚の家の泥の搔き出しを手伝っていて。そのうちに、行方不明の方の捜索や、海のがれき撤去の話を聞いて、2011年の6月から石巻・女川・岩手でダイバーとしてのボランティアを始めることになったんです。当時はまだ神奈川のダイビングショップで働いていましたが、とても理解を示してくれて、月に1度はこちらのほうに来て、お手伝いさせてもらっていました」。

そのときの髙橋さんを突き動かしていたものは「やらなきゃ」という気持ちだったといいます。
「僕は小さいときから海が大好きで、石巻や女川の海でも遊んでいました。海に育ててもらったからこそ、今の僕があるんです」。

その後も故郷の海への思いは強まり神奈川のダイビングショップを退職。
2012年4月に宮城に戻り、その2カ月後には「ハイブリッジ」をオープンさせました。

店内ではグッズ販売も。

「今にして思うと、よくやったなと思いますよね(笑)。でも、まちも地元の漁師さんたちもバックアップしてくださって。がれき撤去や行方不明の方の捜索が主でしたが、その時から『プロをここで育成しないと』という気持ちが強くありました」。

スノーケル教室は2013年夏から毎年行われている。

ここ数年では、ファンダイビングのお客さまも増えてきているそうで「僕自身、若いころは東北の海に興味が持てなかったんですけれど、いざ潜ってみるとちゃんと四季があって、面白いんです。震災後、海が怖いと思うようになってしまった人もいるかもしれない。けれど、僕はこの海のすばらしさを次の世代に引き継いでいく役目を、この女川で果たしたいです」。

これまでも、これからも―。
髙橋さんは海とともに、力強く生きていきます。

宮城ダイビングサービス ハイブリッジ代表&潜水士
髙橋 正祥さん

1979年仙台市出身。ダイビングショップ運営のほか、子どもたちにスノーケリングや着衣泳なども教えており、今後も子ども向けワークショップなどを増やしていく予定。