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宮城県
復興取材レポート

おかげさまのこころで、これからも生きていく―瑞巌寺 稲富慶雲さん

新しく整備された参道の杉並木。

日本三景のひとつである松島には、日本全国、そして世界中から多くの観光客が訪れます。
その松島の象徴的な存在が、国宝瑞巌寺。
平安時代に建立されたと伝えられ、一時は衰退するものの、伊達政宗公の庇護を受けて再建。以来、伊達家の菩提寺として栄えてきました。

今年は、10年にも及んだ平成の大改修を終え、6月に落慶法要が行われるほか、東日本大震災で被害を受けた参道の杉並木の植え替えも終了。
寺としてひとつの区切りを迎える瑞巌寺で、建物の管理担当者として、平成の大改修にもかかわったのが、稲富慶雲さんです。

四大観のひとつ、麗観富山に自坊を構える稲富さんに、故郷・松島に寄せる想いを伺いました。

震災は、私たちに大きな気づきを与えるきっかけになった

2011年3月11日。東日本大震災が起こったその時、瑞巌寺には観光客の姿がありました。

「まだ寒い時期だったこともあり、いつもに比べたらお客さまの数は少なかったんです。それでも、人命最優先ということで、避難対応を行いました。それから職員の安否の確認、建物内の宝物などの確認に追われました」と、稲富さん。

平成の大改修が震災の3年前から始まっており、重い瓦が取り外されていたこと、そして建立時から“筋交い”が全面に張られていたこともあり、本堂への被害はごく少ないもので済みました。

東日本大震災の際、境内地にある陽徳院に地元住民や観光客が避難しました。

被災直後から境内地にある陽徳院が避難所としての機能を果たします。

「ご近所の方から、たまたま松島に来ていた県外の方まで、いろいろな方がいらっしゃっていました。ある県外の方は、ある程度落ち着いた頃に、『あの時は、ありがとうございました』とお礼に来てくださったんです」。
瑞巌寺は、人々にとっての“駆け込み寺”となりました。

被災沿岸部の中でも、松島は島々に守られて比較的被害が少なかった地域です。しかし、瑞巌寺のシンボリックな存在であった参道の杉並木は津波にさらされてしまいました。

「塩分に浸かったことで、徐々に変色し、立ち枯れが連鎖的に起こりました。専門家にも見ていただきましたが、伐採することになってしまったんです」。

こうして伐採を余儀なくされた杉の数は、約500本。樹齢400年近い古木もあったそうです。
杉を含めた新たな木々を植樹整備された参道は、以前とは打って変わった風景ではあるものの、これからの未来に向けての成長を感じるものとなりました。

「震災では、自然には勝てないということを思い知らされました。そして、それをきっかけに思い出したんです。松島は、本来あの世とこの世をつなぐ霊場であるということを。そういう場所に、私も含めた人間が住まわせてもらっている。まさに、おかげさまと言えるでしょう。そのことを地元の人間は忘れてはいけないし、今、きっと原点に戻る時期が来たのだと思います」。

そうした“霊場松島”としての畏敬の念を込めたのが、震災の年から始まった「松島流灯会 海の盆」。
稲富さんも立ち上げの際のアドバイザーとして、活動しました。

「松島の若手が中心になって立ち上げた、供養と鎮魂のためのお祭りで、私たちの想いの集大成なんです」。

「松島流灯会 海の盆」は2011年から毎年行われています。

「大きな被害を受けた地域の方や、今なお苦しさから脱することができていない方たちのことを思うと、心が痛むばかりではあります。でも、震災は、いろいろなことを考えさせるターニングポイントになったのではないかと私は思うんです」。

松島を想い、敬う―。
稲富さんは、これからもずっと、この地で祈りを捧げていきます。

瑞巌寺 管理課長
稲富慶雲さん

1977年松島町生まれ。2003年より瑞巌寺に奉職。「松島流灯会 海の盆」の立ち上げ時のアドバイザーとしても活動。