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復興取材レポート

【NOW IS復興インタビュー】震災遺構仙台市立荒浜小学校

震災遺構仙台市立荒浜小学校は、東日本大震災の津波で被災した校舎をそのままの姿で展示している施設です。今回は、被災時の荒浜小学校での様子や現在の遺構としての役割についてお伝えいたします。

2017年4月、震災遺構としての整備が完了し、荒浜小学校校舎の一般公開が始まりました。
震災後、校舎が使えなくなった荒浜小学校は、仙台市立東宮城野小学校の教室を間借りして授業を行っていましたが、2016年3月末をもって閉校、同年4月には仙台市立七郷小学校と統合されています。

残った爪痕

校舎に近づいてみると、あちこちに津波による傷跡が目に飛び込んできます。

欠けている水飲み場のブロック部分、潰れた柵、外からでも分かる窓ガラスを突き破った跡。

そして、「津波到達地点」の看板。
校舎の2階まで津波は押し寄せたのです。


自分の身長よりも遥かに高い位置まで津波が押し寄せたと想像すると、ぞっとします。

校舎内に入ると、1階の教室内が津波で荒らされた様子を見ることができます。
一階の廊下は安全性確保のため、途中からガラスで塞がれています。そのガラス越しに見えるのは、いまにも崩れそうな天井。
ガラス越しでも十分当時の情景を想像することができます。


このキャビネットは浸水した2階にあったもので、さびた部分まで津波が到達したことがよくわかります。


震災当時の荒浜小学校
4階に上がると、教室がいくつかあり、それぞれが記念館のようなつくりになっています。
震災時の様子を語る映像や、震災前の荒浜地区の姿を再現したジオラマ、伝統的な祭りの映像、震災時に使った毛布や紅白幕などを展示してあります。

荒浜小学校には震災時、教職員や児童、地域住民など320人が避難していました。.

地震発生から約1時間で津波が小学校に到達し、人々は屋上まで避難することに。
自分の家や知人の家、松林や車、がれき…それらが流されていくのを黙って見つめるほかない状況でした。

ヘリコプターによる救助を待つ間、人々は備蓄物資の毛布だけでなく、紅白幕やカーテンなどをかき集め、寒さをしのぎました。

時間はかかったものの、救助は無事完了し、全員が翌日夕方までに小学校を脱出することができました。

屋上に登ると、荒浜地区の眺めが一望できます。
設置してある写真で震災前の様子と現在の姿を見比べてみると、もとから何も無かったわけではなく、津波によってかつての住宅街や松林など、多くのものが無くなってしまっていることに衝撃を覚えました。

震災遺構としてのこれから
映像の中で「避難訓練の方法を工夫するなど、良かれと思ったことはその時にやっておく。その積み重ねが災害を少しでも減らすことになる。」と話す当時の校長先生。
防災意識を常に持ち続けることが、命を守ることにつながっていくのです。

震災遺構として残されている荒浜小学校は、震災の記憶や経験を伝え、防災意識を高めるためにも、また、震災以前の荒浜地区や小学校の姿を忘れないためにも、大きな証として生き続けていきます。

執筆 ライター 昆野沙耶