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復興取材レポート

【NOWIS.復興インタビュー】石巻市復興まちづくり情報交流館 リチャード・ハルバーシュタットさん(第1回)

石巻市は震災により大きな被害を受けましたが、それに立向うようにして復興を進めようとしています。
「石巻市復興まちづくり情報交流館」は 中央館、雄勝館、北上館、牡鹿館と4つの地区にあり、石巻市の復興情報を伝え、町のコミュニティ形成にも役立つ施設になっています。今回、中央館で外国人であるということを活かし、ナビゲーター兼館長を務めるリチャード・ハルバーシュタットさんを2回にわたり紹介いたします。

SFのような光景を目の当たりにして
当時、石巻専修大学で教壇に立っていたリチャードさんは大学の研究室で被災し、身動きが取れない状況の中、3日ほど過ごしました。
日本に長く住んでいることもあって、地震は何度も経験していましたが「イギリスでは考えられないような揺れに、いままでにない恐怖を感じました」と、リチャードさん。

被災してから3日後、市街地に足を踏み入れました。
「被災後の市街地はまるでSFの核戦争のような壊滅的な光景で、衝撃を受けました」といいます。

そうした光景に加え、漏れたガソリンや泥のにおい…。
それは、まさに『catastrophe(壊滅)』という文字通りの光景でした。

荒れた市街地の中、がれきの山をかきわけてリチャードさんの友人である後藤宗徳さんが経営する石巻グランドホテルへ。
その際、後藤さんから地域の方々の避難先になっていた石巻グランドホテルに避難するように勧められ、
避難所での生活が始まりました。

突然の帰国勧告に
リチャードさんは、原発事故の影響を懸念した英国大使館から平成23年3月17日に帰国を勧告されました。
石巻の友人からも「帰った方がいい、イギリスから応援してくれたらいいから」と帰国を促され、大使館員の迎えで仙台へ向かいます。涙、涙の別れでした。

しかし、石巻の人たちに自分を地元の一員として受け入れてもらい、生活を充実させてくれた友人や地域の方々のことが頭から離れません。
「こんな状況のなかでみんなを置いて帰るのが心苦しい」と、悩んだ末に帰国を断って石巻に戻ることを決断しました。

石巻に戻ると、みんなが温かく迎えてくれ、一緒に石巻を復旧していきたいという気持ちがより強まりました。

こうして石巻に残ったリチャードさんは、2ヶ月遅れで大学の新学期がスタートしたあとも、空いた時間を利用して、被災した建物の片づけの手伝いなどの支援活動を続けました。

“被災地に残った外国人”という立場から、メディアにも多数登場。
被災地では支援が必要だということを全国に、そして世界中にアピールして、復興支援を後押しできるよう努めました。

 


リチャード・ハルバーシュタット
昭和40年(1965年)イギリス出身。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)日本語学科卒業後、レディング大学文学部で修士号取得。大学卒業後、山形県の高校で英語指導助手を経験。平成5年(1993年)に石巻専修大学で教員を務め、震災後は退職し復興まちづくり情報交流館の館長に。