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復興取材レポート

【NOW IS復興インタビュー】塩釜市寒風沢島「寒風沢農園」

塩竈市 浦戸諸島に、寒風沢島(さぶさわじま)という島があります。
江戸時代には伊達藩の江戸廻米の港として栄えた歴史がある、
浦戸諸島の中でも一番大きな島。
そんな寒風沢島の「寒風沢農園」で農業を営んでいるのが、加藤信助さんです。
今回は島で農業を始めるまでのいきさつなどをご紹介します。

島で育つ野菜たち


寒風沢農園では、玉ねぎや長ねぎを中心に、栽培を行っています。

島の気候や土の性質に合わせ、ビニールハウスの中で苗を育てています。
加藤さん自身は、農業の初心者。全てが初体験ばかりで、試行錯誤の日々です。

島で農業をしているのは加藤さんを入れてたった3人。
そのうちの一人となったのには、こんないきさつがありました。

何か力になりたくて

加藤さんはもともと塩竈市出身。

お父さんの出身地が寒風沢島で、お墓参りに行くなど、小さなころからよく訪れていたといいます。

加藤さんは学校を卒業後、東京都の八丈島で働いたのち、
27歳のとき、仙台市の電子部品の販売店に就職。
それから1年ほどで震災が発生し、会社の業務が停止となってしまいました。

「僕自身や家族、親戚は震災による被害も少なく、無事でしたが、沿岸部に住む友人が流されてしまって…。『何もしないこと』に罪悪感を覚えていたんです。」

会社をやめ、しばらくは被災した友達の家の片付けなどをしながら生活していましたが、
徐々に、震災復興に携わる仕事はないかと考え始めます。


浦戸アイランド倶楽部との出会い
その中で出会ったのが、「NPO法人 浦戸アイランド倶楽部」。
津波で海水に浸かった寒風沢島の田んぼで、作付けの人員を募集しているのを見つけました。
もともと縁のある土地だったということもあり、応募したところ採用され、米作りを開始。

「活動を通して、農業の良さや食の大切さにも気づくことができました。
大変ではありますが、農業の取っつきやすさや
島特有のスローライフ感とか、自分にマッチするところが多かったんですよね。」

平成28年、NPO法人 浦戸アイランド倶楽部に対する補助事業制度が終了し、資金難で米作りの活動が休止となりました。

平成27年ごろから、農業での独立を視野に入れていた加藤さんでしたが、
思っていたよりも早く独立しなければならなくなり、
ノウハウの勉強もままならないまま、独立の準備を始めることになります。

自営業を始めるまで
加藤さんは、農業のノウハウを学ぶため、
名取市にある農業大学校の研修制度・ニューファーマーズカレッジに通うことに。

農業大学校で1年間学んだのち、
塩竈市の協力もあり、平成29年1月から寒風沢島で新規就農に成功。
島での農業をスタートさせました。


寒風沢島での農業
寒風沢島での農業は、大変なことが多くあります。

例えば米作りでは、
水源が無いため、雨の水分だけで水田を管理しなくてはならない点や、
ぬかるみが多く、重労働になってしまう点などが挙げられます。

また、島であるため輸送の手間や費用がかかり、収益に繋がりにくいことも
苦労する点のひとつです。
自分の家で食べる分を育てるぶんには支障はないのですが、
大きな面積で、生活をしていくために育てるとなると大きな負担がかかります。

このような理由もあり、すぐに米作りを始めるのは現実的ではなかったため
加藤さんはまず野菜づくりからスタートすることにしました。

「米作りは実際、いろんな面で大変。
しかし、歴史ある水田を絶やしたくないという気持ちもあります。
農業で生活をできるようになって、
いずれは米作りも余裕ができればやっていきたいです」
と加藤さんは前向きです。

誰かが作らなくてはいけない
「震災を通じて食べ物の重要性を感じました。
食料というのはかなり重要で。
食べ物は誰かが作らないといけないという使命感があります。
これはやっているうちに実感が湧いてきたもので、そう思ってやっていくことで続けていける信念のようなものです」と加藤さん。

「この島で農業をやって、やっていけるという実績を残したいですね。
それが、次世代へとつながると思います。
移住者の受け入れも視野に入れてやっていけたら」。

何事も手探りで今後どうなるかはわからないが、前向きに頑張っていきたいと話す加藤さん。
寒風沢島という地で農業を成功させる方法を模索していきます。


加藤信助
震災後からNPO法人 浦戸アイランド倶楽部に所属。
平成28年3月にNPO法人の米作りの活動休止となってから、農業大学校(ニューファーマーズカレッジ)に通い、平成29年1月より独立。寒風沢島で野菜作りに励む。

執筆 ライター 昆野沙耶