みやぎ復興情報ポータルサイト
宮城県
復興取材レポート

【NOW IS復興インタビュー】震災語り部の会ワッタリ 菊池敏夫さん

「震災のことを伝承するために語り部を始めよう」。
震災後、亘理町の津波被害を後世に伝えるため、町民ボランティア「震災語り部の会ワッタリ」(以下「ワッタリ」)の活動が始まりました。
今回は、ワッタリ設立当初から会長を務める菊池敏夫さんをご紹介します。

「荒浜には津波が来ない」は嘘だった
明治・昭和の三陸大津波やチリ地震大津波では、津波による大きな被害がなかったという亘理町の荒浜地区。
その歴史的事実から「荒浜には津波が来ない」という言い伝えが地元の人びとに浸透していました。
だから、地元では「津波が来るから様子を見に行く。」という人がいても逃げる人はいません。防災訓練は行政区毎にきちんとやっていたのですが、東日本大震災では津波を見に行く人や、逃げずに自宅で待機した人、避難した後に自宅に戻った人が犠牲になってしまったと聞いていますと、菊池さんは悔しさをにじませます。

菊池さんのいた荒浜地区地域交流センターでも、津波とともにがれきや流された住宅が迫り、皆で2階に避難したそうです。
周辺の水が引かず「交流センターから抜け出すには2日ほどかかりました。偶然流れてきたいけすの中身を消防団の方が掻き出して船のようにして、脱出することに成功しました。」

いけすで職場を脱した菊池さんは、その後、逢隈(おおくま)小学校での避難所生活を始めました。
「寝る場所が十分に確保できなくて、職員室の机と机の間に寝袋を敷いて寝る生活でした。私自身も被災者でしたが、まちづくり協議会の職員として、避難者の生活支援が職務になりました。
1ヶ月程後に、近隣の岩沼市内のアパートに移り、さらに7月末になって仮設住宅に移り住むことになり、ようやく狭いながらも日常の生活に近づいた実感が沸きました。

震災語り部の会「ワッタリ」の結成

平成24年の春頃から、菊池さんに亘理町の観光課から「震災語り部をやらないか」という声がかかるようになりました。

「最初のうちはそんな悲惨な話をするなんて、という気持ちが強く、断り続けていました。でも、同じ目に遭わないようにするためには、誰かが語り部をしなくてはいけない状況でしたし、次第に“大事な命を簡単に失わないように”という気持ちが強まってきたため、最終的に語り部メンバーのお世話役だけなら引き受けることにしたのです」と、菊池さん。

こうして「震災語り部の会ワッタリ」は平成24年夏に結成。16人でのスタートでした。

震災語り部は、主に団体のお客様に向けてのバスツアーの形で行います。
地震・津波の経験や命の大切さを語るほか、写真や映像資料もお見せしています。

「津波の恐ろしさや、逃げなくてはならない緊張感を感じていただけたらと思っています」。

そうした津波の恐ろしさを伝えることはもちろんですが、全国から受けたご支援への感謝の気持ちも、亘理を訪れるみなさんにお伝えしています。

お別れの際には「なぜ犠牲者が増えたかお分かりいただけたら、ご家族の中では、あなたが語り部になって命の大切さを伝えてください」と、お客さまに話すという菊池さん。

東日本大震災の大津波では、警報の内容を十分理解せず、逃げ遅れた人がいたと聞いています。
いつもの津波警報と東日本大震災の時に発令された大津波警報の違いを分からなかった人や情報を知らずにいた人が多かったそうです。

「命を大切にしてほしいということ、正しい情報の取得と正しく理解すること。これらを広めることで今後の防災につなげていけたら」。菊池さんは、自戒の念を込めて話します。

今後の課題としては「メンバーは高齢者が多いので、将来的には若い人にも参加してもらい、長く語り部を続けていきたいと考えています」という菊池さん。

多くの人たちに命の大切さを伝え、その命を守る策を伝える「震災語り部」が、ずっとこの地で続いていくことを願ってやみません。

 

 


菊池敏夫
亘理町荒浜出身。亘理町荒浜地区まちづくり協議会事務局長。
平成24年8月の震災語り部の会設立当初から会長を務め、会員14人をまとめる。