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復興取材レポート

【もう一度振り返る私の3.11】大地震後、何が来るか全く予期していなかった。

宮城県仙台市在住 39歳男性からの寄稿 (被災地:仙台市内)

3月11日14時46分――地震発生のその時間、私は仙台市中心部のオフィス内にて、会議用の資料を制作していました。この地震も二日前発生した地震のように、すぐ収まるだろう…そう思いましたが、揺れは一向に収まらず。

むしろさらに大きくなり、蛍光灯が消え、非常灯が付いたことで、これはただことではないと、焦りはじめました。

重たい机は、踊るように揺れ、机上にあったパソコンは床下に落下。棚の上にあった物も、どんどん落ちてきて、為す術もない状態。

避難口を確保するため非常ドアを開けると、ドアの先の階段も激しく揺れていて、逃げるに逃げれない。このままだと、ビルそのものが倒壊するかもしれない、そう思った頃、やっと、やっと揺れが収まりました。

整然とレイアウトされていたオフィス内の机や椅子はバラバラになり、会社内にいた人間は放心状態。建物の中にいると危ないかもしれないから、とりあえず外へ出よう、誰かがそう言って近くの公園に向かうと、周辺のオフィスで働く人たちが集まり騒然としていました。

陥没した歩道

幸い自分には怪我もなく、自転車通勤であったため、麻痺した交通網にとらわれることなく、帰宅することができました。

その日は停電でテレビが使えず、電話も通じず、地震が起こった地域がどんな風になっているのか、全く把握できずにいました。夜、やっと携帯ラジオを見つけ、電源を入れ、放送を聞いてみると、津波被害の深刻さを伝えていました。これを聞いて私ははっとしました。この時まで、大地震が来たら津波が来るということを、すっかり忘れていたのです。

もし私が沿岸部にいたら、地震後、避難行動に至らなかったと思います。災害に対する認識の甘さ、そのことを3.11を振り返るたび、そのことを思い返します。

 

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もう一度振り返る私の3.11