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復興取材レポート

【もう一度振り返る私の3.11】ビルの中で

宮城県仙台市在住 40代男性(被災地:仙台市)

夜の街、あれから大きく様変わりした仙台駅前の商業ビルのネオンの灯りを見るたび、

時の流れの早さに驚く。

2011.3.11.14.46。

11桁のこの数字が指し示す意味合いは、毎日を何気なく過ごしていた私を大きく変えた。

地震の直前、私は仙台の商業ビルの9階にいた。イベント打ち合わせで8人程度の会議をしている最中、資料を戸棚から取り出すべく立ち上がった瞬間、それは起こった。

立っていられないほどの激しい横なのか縦なのか、わからないほどの激しい揺れ。

同じフロアから聞こえてくる、女性たちの悲鳴に似た叫び声。キャスター付きの椅子は、右往左往。激しい揺れにちょっと何らかの諦めに近い覚悟を決めた。

どれくらい揺れただろう、どれくらい時間が経っただろう。1回目の揺れが治まり、動こうかどうかの瞬間に再び強烈な揺れ。これは何?地震だろうけど、宮城県沖地震?

早く終われ!と願いながら、これから先どうなっちゃうんだろうと思った時、揺れは一旦止まった。照明は落ち、ビル内は薄暗い。至る所のガラスが割れ、扉が倒れていた。

このような時、安全確認、人の誘導、ヘルメットの装着、懐中電灯の確保、何をどの順番でやればいいのか、判断がつかない。それまでの避難訓練とは全く異なる、商業ビルの災害時対応。想定外の地震に対するマニュアルは当然持ち合わせていない。ただただ、フロアを回り、怪我している人はいないか、すぐさま外へ避難するように叫んでいた。

 

大勢の人が避難したビルの隣の駐車では、雪がちらつき始める。寒い3月、雪降る夕方、気温は下がる一方。無防備に飛び出したビル内の人は荷物も持たず、着の身着のまま。あちらこちらから「上着を取って来たい」「バッグを置いてきた」「寒い」「いつになったら荷物を取りに行けるの?」

駐車場には町中の人が広い場所を求め集まり、溢れ始めた。ビル内にはどうやら取り残されている人はいない。幸いにも大きな怪我をしている人はいない。

その後の記憶はおぼろげだ。

これが2011.3.11.14.46、11桁の数字が示す私の当時の記憶だ。

あれから7年。時の長さの早さとともに、記憶の風化も実感する。この地域の一人の働き手として、今後もなんらかの形で教訓の発信や復興に携わっていきたい。