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復興取材レポート

【もう一度振り返る私の3.11】忘れたいこと 忘れてはならないこと

宮城県石巻市在住 40代女性(被災地:宮城県石巻市)

あの日までは当たり前に帰る場所があって
当たり前に食べるものがあって
当たり前に会っていた人たちがそこにいて
それが一瞬でほんのわずかな時間で消えて無くなってしまった。

誰しもがその現実を嘆き悲しみ望みや希望を失い「きっと この街はもう終わりだ」「きっと 自分たちはもうダメだ」と思ったに違いない。

けれど、人は想像を超えるほど強かった。そして優しかった。

あの震災を経て「人の力」「人の優しさ」を、身をもって感じ改めて考えることが出来た。

私の中の3.11震災を経ての教訓とそして伝えたいことは「人の強さと優しさ」。

自然の猛威の中、我々人間はとても無力だった。

立ちはだかる現実にただ立ち尽くすしかなかった当時、身も心も折れかかり倒れかかった我々に希望を与えてくれたのは多くの人々の「想い」というカタチだった。

人の関わりが希薄な今の世の中で、あの時ほどあの日々ほど人の想いがひとつになった瞬間はなかったように思う。

防災意識やあの日のことを教訓に後の世に何か伝え残すというならば、私は迷わず「人間ってまだまだ捨てたもんじゃないよ」ということ伝えたい。

震災の当日、救いの手を差し伸べてくれたのは近所の人たちだった
遠く離れたところにいる仕事の仲間たちだった
後の壊れてしまった街の復興へ奔走してくれたのは、日本中いや世界中からこの地に集まってくれたボランティアさんたちという存在だった
傷ついた人々の心を癒してくれたのもそんな彼らだった。

震災からもうすぐ7年。もう一度あの日々のことを我々も振り返らなければならないんじゃないかと思う。

我々自身も忘れかけてはいないだろうか?

あの時、すれ違った人たちに声を掛け合っていたこと「困ったことはありませんか?」「大丈夫ですか?」と声を掛けてもらったこと、あの日々を忘れてはいないだろうか?

当時、ありとあらゆるところで言われていた「コミュニティの形成」ということ。

コミュニティなんて誰かに「はい ここで作って」と枠を決められ言われマニュアル通りに作れるものではない。

巨額なお金を投入して作ったところで「はい それでオッケー」というものでもない。

じゃあ、いったいどうしたら良いのか?

「向こう三軒両隣」毎日の「おはよう」や「こんにちは」困っている人がいたら「大丈夫ですか」と声をかける優しさ。

そんなことを積み重ねて出来るごく自然なことではないだろうか。

なんでも便利になった今の世の中で、実在する「人間」と関わり持たなくても何とかなる世の中で、なぜ人は孤独だと死んでしまうのか?

2011年3月11日 まさかあの日、自分がテレビ見ていた「避難所暮らし」をすることになるなんて、自分が「被災者」と呼ばれる立場になるなんて。

日本中いや世界中でいつ起きるかわからない自然災害、命を守る行為として大切なこと日々の防災意識や避難訓練はもちろんではあるけれど、私がやはりあえて言いたいのは「人とのコミュニケーション」。

あの時、私達に向けられたたくさんの温かい想い微笑みと涙。

忘れてはしまいがちなことをこうして時々思い出すことはとても必要なことだと思います。

そして、今後 生きていくうえであの時の気持ちの恩返しを少しでもしていけたらと思うのです。

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もう一度振り返る私の3.11