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宮城県
復興取材レポート

【いわたかれん復興フォトVOL.7】「遺す」

こんにちは。岩田華怜です。
すっかり冬になり、寒い日が続いています。
この時期になると、毎年東北へ帰ることが多く感じます。

東日本大震災から7年目の3月11日が、また近づいてきました。
東北の冬は厳しい寒さになります。
私は、そんな肌に刺さるような、でもどこか懐かしい北風に肩をすくめる度に、あの日の夜の寒さを思い出すのです。

宮城県南三陸町も、あの日は寒い日でした。
2011年の3月11日、結婚式場だった『高野会館』では、町の高齢者の方々の芸能発表会が行われている真っ最中でした。
3階にいたご老人や職員を、激しい揺れが襲います。
その時の話を、現在ここを震災遺構として保存・管理している「南三陸ホテル観洋」の伊藤さんがしてくれました。

ご老人たちの中には家に帰ろうとしたり、避難場所へ行こうとしたりしたそうなのですが、職員が、「帰ったらダメだ。津波が来る。屋上へ避難しよう。」と言ったそうです。

大津波警報が発表され待ったなしの状況下での判断です。

一同は急いで屋上へ。
ほかにも、地域住民の方々も含め、高野会館には327人もの人が避難したそうです。

そして、高野会館の4階の高さまで届く黒い波が、押し寄せました。
隣接していた病院は、飲み込まれました。
患者さんと職員の方々を含め、74人が犠牲となったそうです。

高野会館に留まっていた327人の人々は、無事救助されました。

高野会館も、多くのものが流されました。
これはトイレの写真です。男子、女子と区切られていたトイレが、波で壁が流されてしまっています。

見たことのない異様な光景が、津波の恐ろしさを色褪せることなく物語っています。

ここまでを案内してくれた伊藤さんにも、家族がいます。
奥様と、当時産まれたばかりだった娘さんです。

津波からは逃れたものの、その後の避難生活は小さな子供がいる家庭にとって大変なものでした。
しかしそれを助けてくれたのが、日本中、世界中からの人々から届く物資だったと言います。

オムツもミルクも、食料さえも途絶えていた被災地に、県外の方がたくさんの物資を送ってくださいました。
みなさんのお力添えがあったから、娘は生き延びられたと、目に涙を浮かべて語る伊藤さんの笑顔には、感謝の気持ちがあふれていました。

私は旧高野会館を後にし、その足で宮城県南三陸町役場新庁舎へ。
震災での経験を生かし、新庁舎は高台へ建設しました。
地元の木材である「南三陸杉」を使った建物は木のぬくもりを感じ暖かく、外からの光が存分に入る造りになっています。

環境に配慮した森林運営の国際認証制度FSC®の「全体プロジェクト認証」を取得したそうです。
全体プロジェクト認証を得るには、建物や内装、家具に使う木材のうち、FSC材が5割以上を占めなければならないところ、新庁舎は全体の9割を使用していて、全体プロジェクト認証取得は、公共施設としては国内初だとか。

議場も、素晴らしく画期的な場所となっていました。
南三陸町の人々がこの先安心して快適な暮らしが送れるような、南三陸町をしっかりと守ってくれる、頼もしい役場でした。

 


岩田華怜
仙台市出身の女優。AKB48を卒業し、被災地の「今」を伝えたいと写真の勉強を始める。