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宮城県
復興取材レポート

【いわたかれん復興フォトVOL.2】あの日

皆さんこんにちは!岩田華怜です。
梅雨だと言うのに、暑い日が続いていますね。皆さん如何お過ごしでしょうか?
先日、地元仙台で行われた「東北絆まつり」にお邪魔して来たのですが、6月前半とは思えない程の暑さに驚きました。
東北絆まつり、そんな暑い中でも沢山の人でにぎわっていて、大盛り上がりでした。こうして故郷に活気が戻って来たのを見ることができるのは嬉しいことです。^ ^

しかし、同じ宮城県でも、まだ”あの日”に取り残されている場所がいくつもあります。

今回私が訪れたのは、宮城県の東南端に位置する山元町。そこに今もなお、撤去されることなく残っている、「旧中浜小学校」があります。

2011年3月11日も、中浜小学校には沢山の生徒が居ました。大きな揺れが収まると、息をつく暇もなく津波注意報が勧告されます。
校長先生のとっさの判断で、校庭に避難していた児童は全員、校舎上階へと移動しました。
やがて、黒くて大きな恐ろしい波が、海岸の松林をなぎ倒し、山元町の街を飲み込みました。子供たちが沢山のことを学び、沢山の友達と出逢った大好きな中浜小学校は、一瞬にして、変わり果てた姿になってしまいました。
その後、陽が落ち、雪も降り始めました。
水や食料はありませんでしたが、学校にあった毛布やビニールシートで、みんなで身を寄せ合い、寒さをしのぎました。
そして翌朝、自衛隊のヘリにより、避難していた児童、職員、保護者、地域住民を合わせた約90名が、ようやく無事に救助されたのです。
震災から2年間は、近隣の坂元小学校に併設されていましたが、校舎の被害や児童数の減少により、2013年の3月に、中浜小学校は閉校しました。
中浜小学校に通う児童を始め、90名の命を守った旧中浜小学校は、震災の記憶を風化させないためにも、震災遺構としての保存方法が検討されているそうです。

旧中浜小学校を背にして正面を見ると、たくさんの黄色いハンカチが吊るされていました。

「幸せの黄色いハンカチプロジェクトin山元町」

地元の学生や地域住民の人々はもちろん、なんと全国からも、山元町の復興を願う声や応援のメッセージが寄せられていました。

東日本大震災は、顔も知らない、会ったこともない日本中の沢山の人々が、東北を想い、東北を励ましてくれました。

まだまだ復興の途中ではありますが、そんな全国の方々のお力添えもあり、確実に、復興は前へと進んでいると感じます。

2011年から、今日までの6年間、ずっと東北に寄り添い、東北を見て来ましたが、私はこの6年で、改めて日本人の暖かさに触れることが出来たと思います。

誰かが誰かのために、誰かの幸せを本気で願う。

簡単そうに見えて、とても難しいことなのではないかと思います。

でもそれを、日本を越え、世界中の方々がやってくれた。
だからこそ東北は、ここまで元気になったのだと思うのです。

この「幸せの黄色いハンカチ」を見て、そんな暖かい気持ちを思い出すことができました。

あなたにとって、「幸せ」とはなんですか?

大切な人が隣にいて、暖かいご飯が食べられて、いつもの道で友達に会って、「おはよう」と言える。

そんな当たり前のことが、何よりの幸せなのだと、あの日を経験した誰もが思いました。

日本では、まだ地震による被災地が増えています。
東北があの時、全国の人に助けてもらったのと同じように、思いやりの心を忘れずに、助け合っていけば、きっと幸せの輪は広がる。
私はそう信じています。


岩田華怜
仙台市出身の女優。AKB48を卒業し、被災地の「今」を伝えたいと写真の勉強を始める。