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宮城県
復興取材レポート

「このままでは終われない」未来を見据えて挑戦したい。株式会社 ささ圭 佐々木 堯さん

宮城県産の「北限の柚子」「仙台雪菜」「かぼちゃ」「ごぼう」「ずんだ」「完熟赤ピーマン」を練りこんだ「みやぎの雫」。かまぼことチーズの相性は抜群。

「スーツを着なれてなくて、すみません。いつもは作業着がほとんどなんですが、今日は東京で会議があって」。
照れくさそうに笑う佐々木堯(ささき ぎょう)さんは、笹かまぼこ製造会社「ささ圭」の3代目を継ぐべく、常務取締役兼商品開発室長として奔走中です。

「ささ圭」は、東日本大震災の津波で、閖上(ゆりあげ)地区にあった3つの工場を消失。
現社長の佐々木圭亮さんは、いったん社員に廃業と解雇を告げましたが、すぐに撤回し、再建を決意します。

「口数の少ない父なので、私が感じただけですが『このままじゃ終われない』っていうのはあったと思うんです。祖父と父と3人で、工場跡地にあった笹かま製造に使う金属の串を拾って、1本1本磨いたんです。その時にそう感じたんです」。

自分のような若輩者に多くの方が関わってくれた。

「高校生の時から、催事やイベントの手伝いをしていて、かまぼこの仕事は楽しいと感じていました。東京で就職して社会経験を積んでから、閖上に戻って継ごうと思っていたんです」。
その「いつか継ごう」から「すぐにでも継ぎたい」と変化したのは、東日本大震災を経験したからでした。

佐々木さんは震災当時、東京の大学1年生。
渋谷の電気量販店のテレビで、閖上に迫る津波の映像を目にします。
その後、家族が、みなし仮設住宅に入ったのを待ち、4月上旬に名取市に帰省しました。

ガレキの山に言葉を失いますが、「このままでは終われない」と佐々木さん自身も思いました。
「その年の7月に、名取駅近くの直営店を改築して、創業者である祖父が手づくりする笹かま工房を開設。震災から1年半後には新工場竣工となりましたが、そこまでに至る父の苦難は口では言い表せないと思います」。

2012年9月に完成した新工場のそばには、直営店が併設されている。

新工場が完成したのは、大学3年生の9月。
「工場が軌道に乗るのは数年かかる。その重要な時期こそ、しっかり手伝いたいと思いました」。
就職活動はせず、時間が許す限り東京と名取を往復する日々。

「売り場をあけて待ってくださった取引先や、販売を楽しみにしてくれるお客さんがいたこと。それは祖父と父をはじめ、社員が築いてきた信頼があったからこそ。祖父や父の続けてきたことが、改めてすごいことなんだって思いました」。
そして卒業と同時に株式会社ささ圭に入社しました。

震災前の味を「復元」と「再現」することに試行錯誤を繰り返し完成した「吉祥」。しっとりとした艶と風味が自慢。

入社してからは、これまでの手伝いとは異なり、経営の学校に通ったり、祖父の傍で「手わざ」の技術を学んだり、新商品の開発をするなど、多くのことに携わります。

「新工場でつくり始めた、丸いかまぼこの中にチーズが入った『まるっチーズ』にバリエーションをつけたいと、宮城県の助成を受け開発したのが『みやぎの雫』です」。

宮城県産の野菜を練りこんだかまぼこは、「第40回宮城県水産加工品品評会」で”農林水産大臣賞”や、他の賞も受賞し、G7のレセプションに採用されるなど注目されています。
「パッケージにこだわると、工場ラインが一工程増えてしまう。そのまま置いただけでは、魅力が伝わりにくいなど、いろいろな面から考えさせられて、勉強になりました」。

名取川沿いに来年4月完成予定の商業施設「かわまちてらす閖上」にも役員として運営に参加したり、海外への販路開拓にも挑戦したり、忙しい日々を過ごす佐々木さん。

「社員や家族とともに震災から、がむしゃらに突っ走った7年半でした。多くの方が関わってくださった中で、何か『おもしろいこと』をしたいと思うようになったんです。まだ模索中ですが、『1番おもしろいかまぼこ屋』といわれることを目指し、常に感謝の気持ちを忘れず、さまざまな挑戦をしていきたいですね」。


株式会社 ささ圭 常務取締役 商品開発 室長
佐々木 堯さん
名取市閖上出身。昭和41年創業の「ささ圭」の3代目を継ぐべく奔走中。取引先やお客さんが笑顔になれる商品提供はもちろん、従業員が笑顔で働ける環境も整備したいという目標を掲げている。