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河北新報による復興に関する記事

東日本大震災/手掛かり、ひたすら求め/避難所を訪ね歩き/東松島

※下記記事は2011年3月14日に河北新報朝刊に掲載された記事です。掲載している数値などについては、現在の数値と異なる可能性があります。

基礎だけを残した住宅、泥に埋もれた食器や生活道具…。東松島市野蒜の鳴瀬川河口に近い新町地区に入った。200世帯がほぼすべて、津波で流されている。
地元消防団に所属する尾形善晴さん(57)が仲間と復旧活動に当たっていた。家族も被災し、88歳の母親と小学1年の孫の行方が分からないままという。
顔をゆがめた。
「地域では津波に備えた訓練を欠かさなかった。みんな怖さはよく知っているはずだった。予想以上の規模でどうしようもなかった」
土井美香さん(58)の自宅は屋根部分が約10メートル離れた堤防まで流された。「ショートステイに行った母親と連絡が取れない。電話もつながらなくて心配だ」と話す。地元の避難所を訪ね歩いているという。
尾形さんら住民によると、緊急時の避難場所となっていた集会所や野蒜小校舎、体育館まで津波が押し寄せた。校舎にいた人々はとっさに2階に上がったが、集会所や体育館に避難していたお年寄りらは水に足を取られ、次々と姿が見えなくなったという。(藤田杏奴)

K20110314TE0YX0200世帯近い住宅が流された東松島市野蒜の新町地区=13日正午ごろ

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